緊急時は老婆を見捨てて子供を助けるべし

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僕の発言に対して、「正体見たり、残念な方」というコメントをいただきました。

http://kayskayomura.com/ja/node/143#comment-1247 投稿者:大村京佑 東北大震災で80歳の老婆を助けるために7人の40代男が津波に飲まれた例がありますが、本当にバカげた話です
http://kayskayomura.com/ja/node/143#comment-1250 投稿者:匿名ユーザ (未認証ユーザ) 大村さん 少し前から時々このブログを拝見していました。 いったいどんな方なのかと興味をもっていたのですが、この発言「東北大震災で80歳の老婆を助けるために7人の40代男が津波に飲まれた例がありますが、本当にバカげた話です」には、少し驚きました。 あなたは「80歳の老婆」の命を「7人の40代男」の命と比べるのですか。そして、はっきりと「7人の40代男の命」の方が大切だと思うのですか? あなたには母親はいませんか? なにより人の命を助けようとして死ぬことは馬鹿げたことですか? いろいろと見聞も広く知識も豊富で器用な方とお察しいたしますが、この発言を見て正体見たりというか、典型的な現代の日本の男性というか、残念な方なのかなぁと思いました

僕からすると、この事件の話を聞いておかしいと思わない方がおかしいと思うのですが、まあ、これが普通の日本人の感覚なのでしょう。 日本人は同調主義です。 空気を読んで、人に合わせることが正しい。 自分でモノを考えると他人と衝突することになるから、なるべく自分でモノを考えない。 マニュアル人間になる。 マニュアル人間とはすなわちロボットです。 だから日本人はロボットが大好き。 マジンガーZ、ガンダム、合体ロボ。 ロボット人間はプログラムされた内容は正確に再現します。 しかしロボット人間はプログラムされていない場面に出くわすと固まって動かなくなる。 判断不能になる。 津波という状況がまさにその場面だったと思います。 40代の男と言えば、普通なら妻子がいます。 子供は小学生か中学生ぐらいでしょう。 80歳の寝たきり老婆を助けるために働き盛りの40代男7人が死ぬということは、7人の命が無駄になると同時に、その後ろに控えた7人の妻と10数人の子供たちが路頭に迷うということです。 もうすぐ死ぬ老婆のために7人の男が死んで合計20数人の女子供が路頭に迷う。 これをバカげた話と言わずして何がバカげた話なのでしょうか。 これこそ日本の美徳? 僕から言わせればこんな日本の美徳は愚の骨頂、アホの北極点です。 ahonosakata.jpgこれはアホの坂田 死んだ7人の男たちも、自分の妻子のことは考えなかったのでしょうか。 おそらくこの7人は空気に負けたのでしょう。 この事件では一人だけ生き残りがいるのですが、合わせて8人という小集団は空気を作れる単位です。 彼らは地元の消防団員だったので、人を助けるという義務感がまず前提としてあった。 80歳の寝たきり老婆を家から搬出しているうちに、津波が迫ってきた。 自分の妻子のことを考えたら、老婆など放り出して逃げたかった。 しかし同調主義の日本人は批難に弱い。 そこ逃げ出してしまうと、「お前に母親はいないのか」などと後から人に批難される可能性がある。 そこで批難されるくらいなら、妻子を残して死んでしまえということです。 残された合計20数人の妻子たちは今何を考えているのでしょうか? たった一人の80歳の寝たきり老婆を助けるために死んだ夫・父親を誇りに思っているのでしょうか? アホな判断をしたアホな大人たちへの批判を控えることは、一見すると親切心にも見えます。 しかしそれは自分たちのアホさをごまかす為の目くらましに過ぎないのです。 アホを擁護することによって自分のアホを隠す。 隠して隠して一億玉砕。
なぜ日本では誰も怒らないのですか? [video:http://www.youtube.com/watch?v=kH00psyB4lc#!]
欧米は哲学の文化です。 最近はサンデルの哲学講座が話題になりました。

[video:http://www.youtube.com/watch?v=z18zYCC4Su0] これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学 1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか? 金持ちに高い税金を課し、貧しい人びとに再分配するのは公正なことだろうか? 前の世代が犯した過ちについて、私たちに償いの義務はあるのだろうか――。

平時の敬老精神は良いでしょう。 しかし非常時での敬老精神は間違っている。 非常時ではむしろ老人から見捨てるべきであり、そういったマニュアルにとらわれない柔軟な発想を養うことが哲学の目的です。 ここで僕もサンデル教授にならって哲学講座をします。 設定 「津波が迫っています。80歳の寝たきり老婆が家にいます。あなたならどうしますか?」 答え 「たとえ自分の祖母でも放っておいて逃げる。そもそも津波が届く海岸沿いの家で寝たきり状態が迷惑」 設定 「津波が迫っています。自分は寝たきりです。救助が来ました。あなたならどうしますか?」 答え 「救助を拒否する」 設定 「津波が迫っています。子供が泣いています。あなたならどうしますか?」 答え 「連れて逃げる」 設定 「老婆を見捨てました。お前に母親はいないのかと批難されました。あなたならどうしますか?」 答え 「無視する」 僕は若いときはよく怒っていたのですが、最近は怒らなくなりました。 本当はもっと怒りたいのですが、怒るという行為はとても疲れる行為なのです。 自分が怒るよりも怒る若者に知恵を貸す方が楽だと思ってブログを書いていますが、どうもこのブログは若者の読者が少ない感じで残念です。

はじめまして。
大村さんの指摘にひとつ付け加えれば、日本人は人を助けるために自分が犠牲になることを、美徳とする心があります。
今回の地震でも、町役場の防災放送を最後の最後までやり、津波の犠牲になった女性がおりましたが、感動美談としてマスコミなどに紹介されております。

逆に、ご指摘の状況で逃げだした場合、「卑怯」「ずるい奴」などと思われ、後々自分でも自責の念にとらわれてしまうと思われます。「あのとき、死んでしまえばよかった」と思い詰めてしまうかも知れません。

大村さんのおっしゃることは正論だと思いますが、僕がその場にいたら、大村さんのように割り切ることができるか自信がありません。

犠牲が全て美徳と見る事は間違っています。 女性が最後まで放送を続けた事・・・、確かに女性の人命の為に自分を犠牲にしたこの行為は感謝に値する、讃えてあげなければいけませんがこれは役所の防災に対する不備が不幸な結果を招いているのです。 多くの人は津波被害は仕方が無いと捉えていますが私にしてみれば危機管理を怠っていたとしか思えません。

私はすぐ該当自治体などに避難警告など何種類かの状況に応じたシュミレーションを行ない、音声を録音、長時間流し続けられるように編集して対策を立てろと怒鳴りつけました。
新潟県は2回の大洪水で3500億円の大損害を被りましたが私は1回目の大洪水の前に盛土(土手嵩上げ)をした方が良いのではないかと県総合庁舎に警告電話をしました。県職員は「許容範囲なので(この許容範囲は警戒水位内の事だと思われる)」と軽く判断してました。 結果はとんでもない結果でその後思いっきり怒鳴ってやりました。 実際は予知夢を見ていたのですが。

大村さんの老婆1人に対して男7人の犠牲は人命救助義務の結果でしかありませんがあなたも美徳と思う前に役所の怠慢といい加減な予測での無責任な死者大量発生の過失を良く見極めた方がいいですよ。

私はたぶんあなたよりも先祖をたどると天皇、上皇に近い家系、姓の生粋の日本人ですが日本人は右へならい、同調主義、軽自動車ワンボックス型軽自動車タントなどが発売されると右へならってワゴンRから一斉に乗り換えると言った個性が内つまらない種族であることは間違いないでしょう。

「この女性は美徳だぞ」と言えば「そうだ美徳だ」と習ってしまう愚かな民族でもあります。

先のコメントを書いた者です。

大村さん、若いですね。

厚みも奥行きもないぺらぺらの人間なんですかね。本当に残念な方ですね。まぁ、そのうち年をとれば考えが変わることもあると思いますが…

先の豪華客船の事故では、船長はもちろんいい年した男性たちが我先にと争って救命ボートに乗り込もうとして、女子供が先だという若い男性ともみ合いの喧嘩になったという報道もありました。

大村さんは、きっと、なりふり構わず真っ先に救命ボートに乗り込むタイプですね。きれいごと言ってる暇があったら、俺は助かるぞって

寝たきりの老婆を、津波などの災害時に助ける必要はないという意見はわかりました。では自分で身動きとれない身体障害者の方や知的障害のある方についても同じようにお考えですか?

おそらく答えはYESでしょうね

老婆を助けるか助けないかの問題は日本人云々という問題ではないです。ですが、あなたの意見は現代の日本人の薄っぺらさを象徴しているかのようで、日本社会の病理をまざまざと感じさせてくれます。

初めまして。
いつもブログ読ませていただいてます。
他の方のコメントの意味がよく分かりません。
津波の時のような一刻を争う非常事態に老人より若い人の命が優先されるのは全然間違ってないと思うのですが。
皆もっと「津波てんでんこ」の伝承の意味を考えるべきだと思います。

再び、件のコメントの発言者です。

幼い子供の命が優先されるのは当然だと思いますよ。

幼児を助けるか老人を助けるか、二者択一を迫られる状況では、幼児を助けるのが当然でしょう。

でも、そんな決断は簡単なことではありません。「苦渋の選択」です。まともな感覚の持ち主であるなら。

老人を助けようとする行為を馬鹿げていると一蹴する「心」は、人としてあまりにも浅はかであり荒んでいます。

日本人としてどうか、ではない。人間としてどうか、という問題です。

40代男性らが老婆の救出のために波に飲まれたことは単に結果論であって、男性らは別に命を捨ててまで助けにいったとは到底思えません。老婆を助けに行って皆生還できる見込みは十分ある、または途中で厳しい状況になっても老婆救出を諦めて、引き戻って助かる見込みはある、という判断で救助に向かったはずですので、一概にその一部始終に対して馬鹿げているという発言をするのはやはりどうかと思います。そういう判断もなく一目散に助けに行ったというのであれば、大村さんと同じく馬鹿げた話であるということに対して同調しますが。救助に行ったということはもちろん褒められるべきことですし、もし救助にいかなかったとしてもそれは避難されるべきことではないでしょうから、馬鹿げた事と一蹴するのはあまりに短絡的すぎです。男性らが老婆の救助に向かった→助けられずそれどころが自分らも波に飲まれて死んだ、という一連の事実に対して当事者の意図や考えを無視して、ひとことで馬鹿げた話だとするのはあまりにも無理があります。
それから、「40代の男と言えば、普通なら妻子がいます。」ということですが、今の時代そのような考えはもはや普通ではありませんし、「その後ろに控えた7人の妻と10数人の子供たちが路頭に迷う」というのも、女性も十分働いて子供を養っていける現在の社会を考えればそう簡単に路頭に迷うこともないと思いますが。古い考えに惑わられずもう少し柔軟な考えをしてもいいのではないでしょうか。
私個人、その救助の映像や一部始終の詳細を知りませんので、お門違いの発言でしたら御容赦ください。

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この話はテレビでやってましたが、生き残った人は疑問を感じつつも何も言えなかったことを後悔しているような話しをしていました。
そもそも、寝たきり老人が海辺に住んでいるという前提自体が馬鹿げた話というか、迷惑な話だと思います。
自由には責任が伴います。
海辺に寝たきりで住むことが居住の自由とするなら、それに伴う危険も自分で引き受けるべきだと思います。

あと言論の自由。
日本の感覚は名誉毀損を重視して言論自由を制限しますが欧米は逆です。
言論自由を重視して名誉毀損を軽視します。
そしてそれは事実から学ぶという姿勢だと思います。
死者の名誉を重んじて事実を封印する考え方。
事実をオープンに論じることで犠牲を無駄にしない。
僕は後者の考え方を支持します。

>女性も十分働いて子供を養っていける現在の社会を考えればそう簡単に路頭に迷うこともないと思いますが。

だから非常時でも敬老精神は大事ということでしょうか?
僕の感覚ではそれは常識を超えたキチガイ沙汰であり、妥協できる点は一切ありません。

初めまして。
私は大村さんの意見に賛成です。
私には乳児がいます。
もし、非常時に老婆を発見しても、助けに行かないと決めています。
心に誓っています。
私は私を頼っている子供の事を、何をするにも念頭に入れています。
だから助けません。
でも、子どもだったら助けます。子供は世の中の宝です。見捨てません。
子供は我が子もよその子も同じ。助けます。
私のような働き盛りの世代は次世代の為に命を懸けるべきだと思います。

反対に私が老婆だったら、誰にも気づかれないように津波にのまれたかったでしょう。
まだ生きたいだなんて思いません。
誰の役にも立たず、年金の世話になって生きるのは
私はイヤです。
死ぬまで次世代の為に生きたいです。

今の若者は・・・・とよく言われますが
今の年寄は欲深く、がめつく、昔の年寄と大違いだと私は感じています。
昔の年寄は、なんでもくれました。
自分に取って置くようなことはしませんでした。
私はそんな年寄になりたいです。

今の国の借金を自分たちの世代でなんとか返したいと
いつも思っています。

若者に希望を作ってやるのも大人の仕事ですよ。
死ぬまで怠けずに、次世代の為にやってあげませんか?

薄っぺらい若者などという前に、がめつい大人をなんとかしてほしい!!

こんにちは。
大村さんの意見に賛成です。
そういう風に思っていても、口に出すと叩かれるのが嫌なので、口にしない人も多いと思います。
私は、助けに行く時は、自分も生きて帰れるか、もしも自分が救助に失敗して死ぬ時は、私が死んだ時に泣く家族が何人いるか、考えます。
夫が救助に行って死ぬかもしれない場合は、止めます。子供の生活がかかっていますし、親が泣きます。
他人の親を助けに行って死んだら、それこそ親不幸です。
日本人て忠臣蔵のお話が好きですよね。わたしは、???です。
バカな殿様のために、妻子を残してかたき討ちに行って、切腹というのは、私はよいことではないと感じます。
でも、日本人は忠臣蔵が好きな人多いですよね。
自分や家族を犠牲にして大義名分を大切にする風潮があると思います。
気持ち悪いです。
そういう考えが、日本を第二次世界大戦に向かわせたのだとも思います。
家族や自分の人生が大切です。と口に出して言えたら、戦争になっていないかもしれません。

ごもっともですが、気持ちが悪くなりました。
テレビで見る大日本婦人会のオバサンたちの様子を思い出したので。
それと、「子どもは助ける」なら、最後までそうなさるのでしょうか。
それができれば立派だと思いますが。
たとえば、流されそうな時、ちょっと手をつかんでやっても、自分の子が落ちそうになったら手を離すんじゃないでしょうかね。
助けられた子が、「助かった」と思って他から手を離していたら、一度も手をつかまなかったよりも残念なことになるような気がするんですが。
自分の子のための権利だけを主張しているのでは、言ったもの勝ちだし、今の世の中、「子どものため」というのは何よりも大義名分だと思いますから。それこそ「空気」に蔓延してます。
人間が繁栄してきたのは、血縁でない間柄でも助け合ってきた結果だという説があります。
「役に立たない者は死ね」という意見は、子殺しをするチンパンジーと人間の中間にあるような気がします。
「子どもなら助ける」とおっしゃる方は、自分の子どもと同じ時間を生きる子どもたちに、すでに手を差し伸べていないのなら、今すぐ何かしてあげてほしいものです。
100円でいろいろなことができるそうですから、簡単なことではないでしょうか。
「国際化」の時代、今回の大震災でも世界の各地から支援が寄せられたそうですから、「あなたのお子さんのために」やっておいて損はないと思いますよ。

管理人追記:投稿者:ソナム

災害時の医療現場のトリアージを参考に、、、
皆さんのコメントを見ていて思ったのですが、感情的な話のレベルにとどまっていて、合理的でありません。
命を年齢で差別してよいのか?とか、年寄りを見捨てるのか?という話になるから、もめるのだと思います。
これを、災害時の救命の医療現場で行われているトリアージを例にあげると分かりやすいと思います。

ウィキペディアより
トリアージ(Triage)は、人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること。特記すべきとして、優先度決定であって、重症度・緊急度決定ではない。すなわち、人材・資材が豊富にある平時では最大限の労力をもって救命処置され(その結果、救命し社会復帰す)るような傷病者も、人材・資材が相対的に不足する状況では、全く処置されない(結果的に死亡する)場合があるということが特徴である。語源はフランス語の「triage(選別)」から来ている。適した和訳は知られていないが、「症度判定」というような意味。ただ、一般病院の救急外来での優先度決定も広義のトリアージであり、識別救急(しきべつきゅうきゅう)とも称する。

簡単に例をあげると、
重傷患者一人に医師が長時間かかわっていて、他の助けられる人10人を治療できないのであれば、そのてのかかる重症患者を見捨てて、大勢が助かる順位で治療をするということです。
一見非道に見えますが、「最大多数の最大幸福」という観点からは、正しいことが国際的に医療現場では認識されています。

平常時では、もちろんどの命も最大限尊重されるべきですが、非常時には別の基準で考えるべきであるということです。

医療現場では、トリアージは標準化しつつありますが、災害救助の現場でも、トリアージの方法を研究するべきだと思います。
個人や組織の倫理で考えるレベルではないからです。
そうすれば、無用に個人が非難されることはなくなり、もっと大勢が助かるようになります。

Benthamのutilitarianismを地でいくような意見が続きますね。

ご自分が、その「大勢のために犠牲にならなければならない少数派」になった時、どのように感じるか想像すらできない人ばかりなのだとお見受けしました。(というか自分は決して少数派にはならないと思っているのかも?)

そのうちわかる時がくるといいですね。そしたら、やっと、人間らしい人間になれますよ

正直、自分は寝たきり老人を助ける為に危険は冒したくないですね~
逆に自分が寝たきり老人の立場なら、危険を冒してまで助けて貰わなくてもいいです
こんな事言ったらヒューマニストの餌食になるので普通は黙ってますが

戦闘機にのって敵国戦艦に突っ込んでお国のために玉砕しろ!と言われたら故意に海に不時着します
福島原発の横でとれたホウレン草を毎日しこたま食べて福島を応援しろ!と言われても食べません
国家破綻なので貯金や不動産を全て国家に召上げろ!と言われたらキャピタルフライトします

こういう考えの人間は生きてる価値すら無いのですかね?

全く同じ考えです。
ついでに言うと、よそ様の子ども様の生き死にも関係ないですから、自分の家族だけで逃亡します。
希望の見えない日本に固執はしません。
自分が一生懸命働いて、できるときは手助けをして生きても、年を取って動けなくなれば収容所に入れられてさっさと死ねと言われるかもしれない国ならば、自分が動けて、少しでも金を持っているうちに出て行った方がいいですね。
どの世界でも同じかは知れませんが、自分で決めたところならば、そこでどのような目に遭おうと仕方がないと思えますから。

人は根が無くて幸いです。

管理人追記:投稿者:ソナム

最初は、「80歳の女性を助けるために、7人の40代(=労働力)の男性が亡くなったのは、『私には幼い子どもと妻への責任があるんです!逃げます!』と言えなかったこと、言わせない空気を失くせ」という提言だったのではないかと思ったのですが、どちらの命を優先すべきか、そもそも命について選別することを容認してもいいのか、になっているみたいですね。

自分は、「80歳の女性」を助けなくてもいい、
でも、「未来ある子どもたち」を優先しなくてもいいと思います。

もちろん、今、「子ども」という立場の人たちに、この世の中がこうなった責任はないかもしれない。
でも、昔「子どもだった」人たちにも、世の中がこうなったことに責任はない。

「どこで、誰が、責任をとるか」、なんて無くて、最終的には、「その世の中で生きるか、自分の選択に責任を持つ」だけ。
自分で動ける人はそれでよく、高齢者や子どもは、彼らを大事に思う人だけで世話すればいい、ということにすればすっきりしますね。
誰でも自分が大事に思うことのために頑張ればいいじゃないですか。

助け合うなんて、幻想ですよ。

「私の大事なものを社会全体でも大事に思え!」なんてことは、すでに脅迫ですね。
まさしく「空気」ですよ。

だから、7人の男も、空気に従うこと、妻子を残すこと、すべては自分の自己責任。
誰がそうさせたか、なんて、そこに生きることを選んだ自分でしょう。
愚かかどうかなんて、他人が考える必要もない。

もう考えるのはやめにします。

提起してくださってありがとうございました。

管理人追記:投稿者:ソナム

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お宅様のブログいつも楽しみに拝見しておりました。
私は今アメリカに住んでいる者です。なんか言葉というのは人を傷つけなんか悲しいですねというのが私の思いです。私にも二人の子供がいます。毎日が戦いです、子供を育てる戦いです、自分の体を張っての戦いです。もし私がこの40代の方々の(私も40代の半ばの母親ですが)様にその一瞬その人を助けたいと思った行動が自分の命を無くしたとしても、自分の子供達は子供達は其れ成りに行きて行く様に育てているつもりです、思いやりがある世の中に成ってもらいたいと子供を育てる親として思います。自分の未来のために人を犠牲にしてまで自分は生きなければとかではなく、その80歳の方がもし生き残ったとしてその方の人生、、知恵をまた残された子供達に伝授して行って頂ければ、其れは宝だと思います。毎日子供を精一杯育てていれば、親が40歳でもし居なくたったとしてもその子はその子なりの人生を歩まなければ成らないと私は思います。思いやりまた経験というの本当に尊い物だと思います。自分だけが良いとかでなく、お金とかは死んでは、天国へ持って行かれません。経験こそがその人の宝に成ると思います。そう言う世の中になることを願います。自分を親として本当に皆が人の気持ちに成って物事をいえる様なまた他の人だったらどうだろうかとか考えられる世の中を願います。海外にいて思うのは、日本語とは凄い言語だと思います。愛するという言葉でもいとおしいとまた、あいするというも、全く違う意味を持ちます。そう言う意味で日本語とは凄いと思います。ここでなんか戦わずなぜもっと思いやるという事ができないのかとちょっと悲しく成りました。人のために死ねるという事は凄い事だと私は思います。親がいなくてもその残された子供たちは、自分の親を尊敬して生きてかれると思います。下手に親がいても親を尊敬出来ない子供達が沢山います。ある意味での子供達が夢がある事と繋がるのではとおもいました。
ちょっと出しゃばってすみません。。でもあまりにも悲しくて投稿しました。
  

zooomerさん、はじめまして

>ここでなんか戦わずなぜもっと思いやるという事ができないのかとちょっと悲しく成りました。

人間の対話にはさまざまな意味があると思います。
気遣い思いやりも対話の目的のひとつでしょうが、自分のスタンダードと他人のスタンダードを比較検討することも対話の目的だと思います。
ディベートの中から自分と他人の考え方の違いを発見する。
あるいは正論を導き出す。
ここは僕のサイトです。
僕が問題提起をして多数の人がディベートに参加してくださいました。
良かったと思ってます。

今日、僕は生まれて初めて健康ランドなる場所に来て、そこから書き込んでいるのですが、ここでは見知らぬ老若男女がみんなパジャマのような服を着て、まるで自分の家のようにねそべってくつろいでいます。
とても日本的だなあと思います。
これこそ日本人の醍醐味なんでしょうね。
日本は大きな家。
みんな家族。
ある外国人が羨望半分で「コタツは人間を堕落させる」と言ったそうですが、健康ランドも人間を堕落させそうで怖いです。

早速のお返事ありがとうございました。
対話については私も本当にそう思います。ディベートは本当に大切だと思います。
うちでも子供達と色々とします。また子供から学ぶ物も沢山あります。
しっかりと言い合ってまた其れを受け入れたり受け入れられなかったりとして正論を見つけて行くというのは大切ですね。そのためにはいつも柔和な頭を持っていなければと思います。ので、此の場で色々な方が意見を言い合って良い事が見つかり、
よい方向に成って行く事を願っています。

で、健康ランド(笑)ですが。私も日本的なところだと思っていましたが、実は2年ほどフィンランドに住んでいましてあの国にもそう言う所が実在しました!!?本当に同じです。プールがありまたサウナがあり子供からお年寄りまで、裸のお付き合いです。あの国はまたサウナを会議室の隣に作り会議の合間にサウナに入りビールを飲みながら続きをするそうです。(これは主人からの話です。)ちょっと余談ですが嘘の様で本当の話です。世界色々。。。皆が仲良く違う物をうまく受け入れて生活出来る様な世の中が早く来る事を願っています。

2012年を境に色々と変わると言われていますが、私はある意味で楽しみで仕方がありません。其れが何なのか判らないのですがとてもわくわくします。

とりあえずお返事へのお礼まで

はじめまして!

最初からあれほどの大津波が来ると分かっていたなら救助はしていないと思います。
彼らは、今回のような大津波までは想定していなかったのだと思います。
だからこそ救助に行けたのだと思います。
もし最初から津波の規模などを知った上で救助に行っていたのなら大村さんの仰るとおりで
異論はありませんし、このような(間違った美徳)救助を二度と起こさせないために、
あえてアホ呼ばわりしたのも理解出来ます。

ですが、緊急時に的確な判断が出来たのでしょうか?
私が思うに、大村さんのような細かい分析(日本人が、美徳が、空気が~)とは裏腹に
単純に消防団員として”乗りかかった船”状態だったのではないのでしょうか?
まだ大丈夫、まだ大丈夫、そして予期していない大津波、急激な浸水・・・という事態で冷静な判断が
出来ず、結果的に逃げ遅れたような気がします。
そして日本人だからと言うのも関係ないと思います。911の時の消防士はどうでしたか?
やれ欧米人、日本人云々の次元ではなく”良心”を持った”人間”の結果だと思います。

hideoさん、ようこそ

>緊急時に的確な判断が出来たのでしょうか?

緊急時に的確な判断をするのが消防団員の仕事です。
そして彼らは死んだ。
彼らの場合は自分の命だからまだ良いでしょう。
原発などは運営者の判断ミスで数千万人の人間が死んでしまう。
運営者にうっかりは許されないはずですが、東京電力にはうっかり八兵衛しかいませんでした。
日本にはうっかりを許す体質があります。
太平洋戦争のときはトップの無策で数百万人の兵が死にましたが、批判は少なかった。
日本人は他人のうっかりで殺されてもあまり怒らない人たちなんだと思います。
ほかの人はそれでよくても僕はいやです。
自分のうっかりで人を殺すのも他人のうっかりで自分が死ぬのもいやです。

未来の国家を担うのは若者であって老人ではない。だから緊急時に優先して助けるのは子供や若い男女であるのは当たり前のことだと思う。

例えば国家的な非常事態(戦争や紛争、天変地異等)で避難するとします。寝たきりや病気をかかえてた老人を助けたとしてもそのあとの食料難や医療の不備等があったらどうしますか?若い人や子供が優先されるのは当然であり寝たきりや病気をかかえてた老人は最終的には見捨てるしかありません。おそらく多くの老人は自分達よりも若い人、健康な人を生かしてあげたいと思って救助や避難を望まないと思いますし助けられたとしても食料や治療も子供や若者を優先して欲しいと祈願するでしょう。確かに救助されればありがたくて嬉しいことでしょうが、そのために若い命がなくなったと知ったら後悔の念を抱くでしょう。
その犠牲を背負って若者たちがまた必死になって新しい国家や社会、家族を作って豊かになっていくものだと私は思います。

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匿名ユーザ (未認証ユーザー) による「」への返信

くだらない批判をする人がいるものですね。
その場の表面的な自己犠牲を美化するのは、良くない傾向だと思います。

人はさまざまな貢献を他者に対してします。
40代や50代の男性であれば、家庭の責任も重いことでしょう。
社会でも、直接間接的に社会に貢献することでしょう。
それらを放棄する人を、社会はどう思うでしょうか?

たまたま老婆を助けたから、それは美徳、、、、というのは
どうかと思います。
様々な自分の責任を考えたら、自分の命も無駄にしてはいけません。
これが幼い子であったなら、話は複雑です。
小さい子は、未来がありますし、大人の庇護が必要です。

高齢者は年齢だけ考えても、人生の成功者でもあります。
自分が高齢者になったら、人の命と引き換えに自分が生きたいとは
思わない。それに、高齢者は命の危険と常に隣合わせ。
命のために、場合によっては出歩く自由は与えない方がいい、
という世論になったら、困ってしまうではないですか。

はじめまして、お邪魔します。津波が来た被災地に住んでいるWと申します。

大村様の緊急時には老婆を見捨てて子供を助けるべし。とありますが・・
それは正しいと思います。しかし、「バカげた話」とか「アホ」
という表現については、非常に耐え難いものを感じています。
当事者が例えば「なんで、ばあちゃん、じいちゃんを助けて、僕たちを残して
死んじゃったんだよ! お父さんのバカヤロー!」と言ったとしても
他人に「バカげた話」と言われたら、良い感情は持たないと思います。

被災地では、今でも苦しんでいる人がたくさんいます。

津波の被害の当事者の目を見て、「バカげた話」と言えますか?

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匿名ユーザ W (未認証ユーザー) による「」への返信

Wさん、はじめまして

昨年9月、鉢呂経産大臣は「市街地は人っ子一人いない、まさに死の街という形だった」という自身の発言をマスコミに問題視され辞任しました。

hachiro.jpg

日本では「不快感」という言葉は武器になります。
そしてしばしば正論を持たない人々がその武器を利用して正論を封じ込めようとします。
僕は敢えて不快感のある言葉を使います。
そうすることで正論と不快感の重要性を対比させたいからです。
また、それに対する批判にも敢えて応じません。
そうすることで「不快感」という武器が相手次第では役に立たない武器だということを証明したいからです。
以上、ご理解いただければと思います。
下のビデオは感情を重視して命を粗末にするそういった日本の文化をドイツ人が笑っている内容ですが、一度目を通してみてください。

[video:http://www.youtube.com/watch?v=kH00psyB4lc#!]

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匿名ユーザ W (未認証ユーザー) による「」への返信

Wさん、

人の心を傷つけない優しさはもちろん大事だと思います。
しかし定期的に津波が来ることが分かっていながら、なぜ海辺にきれいな家を建てるのかという素朴な疑問が僕にはあります。
人の心を傷つけない優しさが、逆に人間の正常な感覚を麻痺させてはいないでしょうか?
ここで被災者の心情に気を配って何も言わないでいると、また同じことが始まらないでしょうか?
そしてそれは関東も同じです。
大地震は定期的に来る。
しかし、東京はビルと家が密集しています。
本当は正気の沙汰ではないのだけれど、みんなどこか安心している。
僕は人間の麻痺した感覚を正気に戻すためにも、厳しい言葉や表現自由は大事だと考えています。

はじめまして、エル と申します宜しくお願い致します。

いくつか、コメントと質問をさせて下さい。

1. 木村さんが言ってる事、解らん事はないですが・・・
実際その場にいたら・・・
木村さんも無心で助けちゃうんじゃないですかぁ~? 
老人だろうとなんだろうと? 
それが人間だと思います、人間の皮を被った者達のことは知りませんが・・・
それにもし、見捨てたら・・・一生後悔するでしょ?
ただ、死んでもよいと思ってる人を助けるのは、大変ですよね・・・
今回の311で学んだことは、「逃げたくないと言っている人には、係わらない!」です、残念ながら・・・。 でも、できればギリギリまでは助けたいですね。

2. 311の千葉のコンビナートの火災の際に、千葉のチッソ石油から大量の 劣化ウラン がばら撒かれ、その後黄色い雨が関東全域で降りましたが、この件に関しても記事書いていただけると有難いです。

3.特に深い意味はないのですが、純粋な興味として質問します。 
木村さんには、朝鮮人・韓国人、またはその他の国の人の血は少しでも流れている・入っているのでしょうか? 過去100年前後くらいまで先祖をさかのぼって、どうでしょう? それとも生粋の日本人でしょうか? 
この質問、人によってどう取るかでいろんな反応があるとは思いますが、個人的には特に深い意味はないです。 ただ、木村さんのブログに多々「日本人は・・・」発言が多かったので、どうなのかなぁ~と思いました。
ちなみに私は、解る限り 生粋の日本人です。

以上、お手数をおかげ致しますが、できればご返答の方宜しくお願い致します。

「老婆」という言い方に、蔑みを感じます。もともと見下しているから、助けられたのが気に入らないんでしょうね。消防団として、こういう場合の優先順位をあらかじめ決めて周知しておくべき。
津波警報のために死んだ女性の美化は非常に危険な感じがして不愉快。そもそもなんて警報なんて録音したものを用意しておくべきであり、管理責任者の責任を厳しく追求すべき。

ご無沙汰してます。

久しぶりにブログを見ましたが
全く同じ意見です。

種の保存のためにも
若い人が助からないといけないのは当たり前の事です。

年金制度も高齢者医療の問題も
政治家が暇人の高齢者票を集めようとして
改革しないだけです。

ぶっちゃけ医療の発展も、高齢者ばかりを助けるのなら
正しい生物の生存の流れでは無いように思います。

人間の中で、命に優劣はあります。
ミジンコより犬、犬より人間。
もうすぐ亡くなるであろう老人より
生産的な若者。

当然の事ですよね~!

儒教的な考えからなのか
日本の道徳教育からなのか
政治家に踊らされているのか
若い人を犠牲にして老人を助けるって言う意味不明な考え方が多いのにはビックリします。

気になったのでコメ失礼します。

同調主義が原因で死んだわけではないのでは?一般市民じゃないんですから。
状況から考察すると、消防団という義務と信念に突き動かされて救出に向かったが、不幸にも予想もしない巨大津波に呑まれて死んだってことでしょう。
消火活動中に大爆発が起こって死なれたってのと同じです。
この件を例に取るなら、殉職した人達全てがアホで馬鹿な人達ということになりませんかね。

日本人は同調主義ということに関しては正にその通りだと思います。