前回、日本軍の諸悪の根元は「員数主義」だったという山本七平の指摘を紹介しました。 では員数主義とは何か? 「数にこだわる主義」ではありません。 数にこだわるのはむしろ欧米人です。 英語と言う言語は名詞の単数形や複数形など、数にこだわりますね。 なぜ欧米人が数にこだわるようになったのか調べたことはありませんが、戦争の歴史に関係があるかもしれません。 戦争において日本は精神主義を強調しました。 一発必中の精神。 太平洋戦争中に強調された言葉に「百発百中の砲一門は百発一中の砲百門に勝る」というものがありますが、この言葉が嘘であることは真珠湾攻撃の作戦計画を立てた源田実が後から指摘しています。 百発百中の砲一門と百発一中の砲百門が撃ち合いをすれば、最初の攻撃で百発百中の砲は破壊され、ゲームオーバーなのです。 戦争に勝つために必要なものはまず兵力です。 小が大を倒すことはあったとしてもそれは例外であり、基本的には兵力が勝敗を決します。 欧米人が数にこだわる理由は、もしかするとここにあるかもしれません。 そしてそういった兵力の大切さについては旧日本軍もある程度は理解していました。 そこで出てくるのが「員数主義」です。 これは 「数さえ合っていれば中身はどうでもいい」 という考え方です。 つまり大砲が壊れていても、現場に到着しなくても、とにかく担当者の帳簿の数さえ合っていればいいという考え方で、そんな無責任御都合主義な考え方で戦争に勝てるわけはないのですが、その通り日本は負けました。 これは日本教の本質とも言える考え方です。 日本の最高法規は憲法ですが、果たして何人の日本人が憲法を理解しているでしょうか? 日本は民主主義ですが、果たして何人の日本人が民主主義を理解しているでしょうか? 日本の結婚は恋愛結婚が主流だと言います。 しかし果たして何人の日本人が恋愛を理解しているでしょうか? 欧米のスタンダードから言えば、日本の法治主義も、民主主義も、恋愛結婚も、すべて本質を欠いた見せかけのシステムでしかありません。 本質を欠いた結婚は成立するでしょうか? もちろん成立しません。 だから日本の結婚率は世界最低なのですが、それでも日本人は本質を考えようとはしません。 では、この考え方はどこから来ているのでしょうか。 神道は日本固有の宗教です。 日本教と神道はとても近いところにあります。 最近、神社に行くと下のようなポスターが貼られています。 これは神社本庁が全国の神社庁を通じて各神社に配布したポスターですが、これこそ日本教の本質中の本質だと僕は考えます。 神道には教義や教典とされるものがありません。 その神道に教義を見出すとすれば、おそらくこの言葉になるでしょう。 「日本人でよかった」 しかし、なぜ日本人であることは良いのでしょうか? 仮に神道に教義があり、それが礼儀正しさを教えているなら、「日本人は礼儀正しいから良い」ということになり、それはそれでひとつの考え方です。 しかし神道に教義はありません。 何の根拠も理由も無く、ただ「日本人でよかった」なのです。 どこかの宗教団体が信者に一般常識的な根拠を示さず、「この教団は正しい。正しいから正しい。この教団に入ればそれだけであなたは幸せ」と教えていたら、それは洗脳であり、低レベルのカルト宗教ですね。 日本人はカルト宗教を嫌います。 しかし日本中にあふれている神社こそカルト宗教であることには気がつきません。 あるいは自分がカルトだから別の宗教が嫌いなのでしょうか?
洗脳プロセスの第一段階は相手を日常から切り放して隔離することです。 そこで世界地図を見てみましょう。 日本は島国です。 これは洗脳には絶好の環境ではないでしょうか。 洗脳の次の段階は「刷り込み」ですが、神道はこれまでの千年以上の歴史の中で、何の根拠も無く日本人に「日本人でよかった」と思わせてきたと思います。 そしてその結果、日本人は何の根拠も無く自分が幸せだと思えるようになりました。 今や日本人は満員電車にぎゅうぎゅう詰めになって出勤し、過労死するまで働いても自分は幸せだと思えるようになっています。 ちなみに日本語の「KAROSHI」は2002年からオックスフォード英語辞典にも掲載されています。 国際労働機関(ILO)の過労死のページ http://www.ilo.org/safework/info/publications/WCMS_211571/lang--en/inde…
(写真はMichael Wolf: Tokyo Compression) カルト宗教の信者に「君は洗脳されているよ」と言うと、返ってくる言葉は次の通りです。 「放っておいてくれ。自分はこれで幸せなんだ。君には関係ない」 外国人が日本人に言います。 「日本の常識は変だよ」 日本人は答えます。 「放っておいてくれ。日本人はこれで幸せなんだ。君らには関係ない」 日本人にとって、実際の幸福は問題ではありません。 問題は見た目です。 員数です。 実際には不幸でも、幸せだと思い込めば幸せになる。 現実を無視して、幻想を信じ込む。 これはまさにカルト宗教そのものではないでしょうか。 少なくとも世界標準から見れば、神道・日本教はカルトです。
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