僕は今まで日本教は間違っていると言う話を何度もしましたが、そもそも日本教とは何かについての説明をしてきませんでした。 そこで今回は日本教について解説しようと思います。 今さらですが、日本には50数基の原発があります。 そして原発は停止中でも稼動中と同じように危険です。 福島原発が津波でメルトダウンしたというのは嘘で、地震でメルトダウンしました。 つまり、また大きな地震があれば、また原発はメルトダウンします。 日本は地震国ですので、いずれすべての原発はメルトダウンするでしょう。 福島の事故によってこのような現実が明らかになったにも関わらず、日本は原発の再稼動に向かっています。 この道はいつか来た道とまったく同じです。 日本は中国との戦争に勝てないと分かると、なぜかアメリカと戦争を始めてしまった。 表向きの理由はABCD包囲陣です。 しかし包囲されようがされまいが、どちらにしても中国との戦争は泥沼なのだからやめればいい。 しかし日本は戦争をやめず、さらに大きい相手に向かっていった。 アメリカと戦争をして日本が勝てる可能性はゼロです。 中国との戦争にも勝てないのに、なぜアメリカに勝てるのか。 国家の安全を図ると言う意味では、そこに合理的な根拠はまったくありません。 無理にでも合理的な根拠を求めようとすれば、おそらく日本が中国との戦争をやめれば、明治からの日本の歩みが間違いだったと認めることになったからだと思います。 以前、戦艦大和の沖縄特攻には合理的な根拠はなかったという話をしました。 戦争が終わった時点で戦艦大和が残っていれば、それは帝国海軍の失策の明白な証拠です。 戦艦大和の沖縄特攻は帝国海軍の失策の証拠隠滅だと思います。 日本がアメリカと戦争を始めたのも同じ理由でしょう。 日本教の本質は無責任御都合主義です。 誰も失敗の責任は取りたくない。 日本の指導者たちは明治からの日本の歩みを正当化するために、敢えて国が滅びるという選択をして失敗の責任を回避したのです。 一億玉砕。 間違いを認めるくらいなら全員が死ねばよい。 これが日本教の恐ろしさです。 日本教の概念を初めて私たちに示したのは戦後初のベストセラー、山本七平の『日本人とユダヤ人』(1970年)です。 (イザヤ・ベンダサンはペンネーム) この本は日本人の常識がユダヤ人にとっては非常識であるというということを説明するために書かれた本で、「日本の常識は世界の非常識」という言葉を生み出すきっかけにもなりました。 この本で指摘された 「日本人は安全と水をタダだと思い込んでいる」 は出版から40年後の今、放射能汚染という形で現実化しています。 この本は日本教の存在を初めて世界に提示した本ではありますが、日本教がどのような宗教で、どのような欠点があるかについて詳しく説明されているわけではありません。 ヒントは豊富ですが解釈には努力が必要です。 少し抜粋します。
日本教の中心が人間であるとはどういうことか? ユダヤ教やキリスト教の「神」が聖書が規定する「神」だとすれば、日本教の神は「人情」であり「和」だということです。 人間の感情こそが、日本人にとっての神なのです。 感情は説明できません。 感情は変化します。 つまり日本人の神様は説明ができず、また常に変化します。 日本人の神様は言葉で説明できず、また常に変化するとすれば、そこには都合のよい解釈が入り込みます。 山本七平は学徒少尉としてフィリピンで戦い、戦記も書いています。 日本人論と言えば、ルース・ベネディクト『菊と刀』、土居健郎『「甘え」の構造』、中根千枝『タテ社会の人間関係』などが有名ですが、その中に山本七平の戦記が含まれないのは間違っています。

「言葉を奪う」とはどういうことでしょう? それは人に嘘を信じさせ、また自分も信じ込むと言うことです。
日本は現実の数字を無視して自分に都合の良いストーリーを作り、それを真剣に信じ、そして負けたのです。 つまり、日本の御都合主義こそが日本が負けた原因だということです。 続く
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