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かつての空気の正体は一億総特攻。今の空気は一億総被曝

前回と前々回の続きです。
http://kayskayomura.com/node/100
http://kayskayomura.com/node/98

カミカゼ航空特攻は敵空母に命中すれば戦果が期待できます。
しかし大和特攻は戦果がまったく期待できないので「特攻」とすら呼べません。
ただ死ぬだけなので特攻というよりはバンザイ突撃に近い。
「大和特攻」はむしろ「大和バンザイ突撃」です。
そしてその大和バンザイ突撃において軍事的、理論的な根拠は何もなかった。
まあ、バンザイ突撃に理論を求めても意味はないのかもしれません。
万策尽き果てた上でのバンザイ突撃なのですから。
ただし大和は軍隊ピラミッドの最下層の歩兵ではありません。
大日本帝国が最高の技術者と多額の国家予算を投じて建造した最終兵器であり、その最終兵器までもがバンザイ突撃を要求されたのです。
山本七平はそれを問題にしています。
日本という国では最高度の頭脳集団による最重要の判断も論理ではなく空気で決定されてしまう。

さて、そこで原発事故です。
事故の被害を最小限に抑える最も合理的な方法は福島の住人を強制避難させた上で汚染を福島に閉じ込めることです。
しかし今、政府が行っている除染は放射能の拡散でしかありません。
福島県内の拡散は無意味な行為ですし、県外への持ち出しは汚染されていない場所を汚染する行為です。
論理的に考えればバカげた行為です。
しかし全国の地方自治体がその考えを支持しています。
下のリンクは汚染がれきの受け入れを表明した自治体のリストです(週刊AERAより)。
http://flower707.exblog.jp/14449776/
汚染がれきも問題ですが、さらに深刻な問題は汚染食品による内部被曝です。
皮膚に付いた放射性物質は洗い流せますが、食べてしまった放射性物質は体内に蓄積する。
しかし政府は汚染食品の許容基準値を世界最高レベルに設定してしまった。

kizyunti.gifクリックで大きくなります
http://kingo999.web.fc2.com/kizyun.html

原発そのものにしても野田総理は停止している原発の再稼動を計画している。
地震や津波を「想定外」などと言っている東電は合理的に考えればもはや信用できません。
東電の原発はすべて停止させるべきだし、他社の原発もそれなりのテストをすべきですが、それをしようとした菅前総理は国民・マスコミの大非難を浴びて退陣しました。

原発推進が今の日本の空気です。
そしてその空気に対してはどんな理屈も理論も通用しない。
大和バンザイ突撃はトップの一存だけで決まったわけではありません。
実行部隊のそれぞれの指揮官が意見を述べる場が持たれました。
そしてそこでは誰もが作戦に反対したそうです。

http://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub3-14.html
「・・・その日旗艦・大和で開かれた各司令や艦長の会合では、この出撃にたいして激越な反対論が次々にとなえられた。まこと当然のことであった。列席する者すでに次の出撃にて帰り得ぬことを、腹の底に叩き込んでいる武人である。また、そのつもりで己の死に場所を待っていた歴戦の猛将たちであった。時と場所さえ得れば、散るを潔しとする決意は眉宇にある。『我々は命は惜しまぬ。だが帝国海軍の名を惜しむ。連合艦隊の最後の一戦が自殺行であることは、絶対に我慢がならぬ』冷静な朝霜艦長・杉原与四郎中佐までが怒った。ここにも、『日本海軍の栄光のために』がまざまざと生きている」。
 「大和特攻」の生き残り「矢矧」艦長・原為一大佐は「とにかく、ほとんど全員が反対しました。犬死になど絶対にご免だって・・・それで第1回の会合は終わったのです。草鹿参謀長は黙って聞いていました。その後続いて第2回の会議が再び大和艦上で開かれたのですが、この時始めて草鹿参謀長はおずおずと、『これは実は連合艦隊命令なのだ』と打ち明けたのですよ」と語っている。草鹿参謀長の「一億総特攻の魁となってもらいたい」との一言に、「そうか、よし、それならわかった」と、伊藤中将は頷きながら答え、すべては決した。

これで当時の空気の正体が分かりました。
一億総特攻です。
当時の日本では「一億総特攻」の空気こそ、どんな軍事理論をも超越した日本の最高意思だった。
今の原発事故への人々の対応もそれに近い感じです。
汚染を日本全国に拡散することに多くの自治体が同意し、あたかも「福島のみんな、君たちだけを被曝させはしないぞ。日本中のみんなが被曝するんだ。一億総被曝だ」と言っている感じがします。

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また続きます。

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コメント

「一億総特攻」の時は、国民側にも「殺されるなら一矢報いて」と、死が逃れられないものという前提で共有できるものがあったと思います。
自治体は、自治体としての対応という共有するモノがありますが、国民一人一人になると、「被災地域の人に同情はするが、汚染物質まで共有できない」が本音だと思います。
今現在、どうなっているのか分かりませんが、そのことについて「大騒ぎ」になっていません。
名乗り出た自治体では「苦情」は「殺到」していたそうですが、そのことについてその後どうなったか、記憶にありません。
花火や薪が拒否されたというのは記憶にあるのですが。
廃棄物の引き受けについての報道が流れたとき、「どうせ引き受けなくてはならなくなるなら、名乗り出て、少しでも汚染が低い方をとって、もう一杯です!と言った方がいい」という判断かな、という印象を受けました。
「どうせ引き受けなくてはならなくなるなら」は、「逃れられないもの」というのと同じですが、この認識は「地方自治の運営者」のもので、「住民」の「総意」ではないはずです。
震災が起こってすぐ、各地が受け入れを名乗り出ましたが、それが十分機能していないと思います。
汚染地域に汚染物質は留め、人を避難させ、一方で除染の研究を進める、というのは、割と多くの人が思っていることだと思いますが、どうでしょう。
汚染物質を拡散して、被災者を戻らせるという方針に、どんな利点があるのか不可解です。
被災者は、政府が除染する、と「言う」のは信じてもいいと思います。
それは、被災者の方々が、「故郷は諦めます」とおっしゃっても、政府はやると思うからです。
どういう方法が有効か、など試し放題、データの集め放題ですから。
「一億総特攻」は、「日本のため」という大義名分が成り立ちましたが、「一億総被曝」には「大義」がありません。
「世界への貢献」という「大義名分」は成り立つと思います。

大村京佑さんのユーザアバター

「一億総特攻は大義」という考え方は僕は理解できません。
大義とは何かを生かすための努力であり犠牲です。
一億が特攻したら日本は消滅するわけですから、消滅を目的とした大義というのは成立しません。
ただし日本人は建て前の民族です。
一億総特攻が単なるかけ声で、誰も腹の底では特攻するつもりなどなかったと言うなら大義かもしれません。

二枚舌
面従腹背
気迫演技

日本軍が兵の降伏を許さなかったのは、それを許すと投降者が続出して戦争にならなかったという理由は小さくないと思います。
特に日本兵は捕虜になると言わなくても良い味方の情報を進んで敵に話していました。
一億玉砕の背景を探るのはつくづく面白いテーマだなと思います。

「大義名分」は、「①人として、また臣民として守るべき節義と分限。②行動の理由づけとなるはっきりした根拠。」 「節義」は「節操をまもり、正道をふみ行うこと」と、手元の電子辞書の広辞苑にありました。
確認してみて、自分の使い方に問題があるかもしれませんが、私は「大義」は一つではないと思って使いました。
「大義」は複数の人間で共有するもので、多くの人間が納得するもの、または従うもの、それだけの根拠を持つもの、と考えます。
「何かを生かすもの」の、生かしたい「何か」が違う人にとって、それは大義とは言えなくなるということはあっても、生かしたいものが同じであれば「大義」と言えると解釈しますが。
「一億総特攻」を「大義」としたのは、生かしたかったのが「伝説」だったならばいかがでしょうか。
よく、滅びの美学と言われますね。
「無」「空」など、日本には滅することに良さを感じる文化があるので、その辺からも来るのかと思います。
また「空」です。

「永遠の」「悠久の」と、個人のものさしではとらえにくいところに目標を持っていくと、見えないもののために死ぬということが不思議でなくなりそうな気がします。

「大義」とは、共有する価値観に過ぎない、というのが私の考えです。
「一億総特攻」という「大義」に殉ずることはできないし、「この私」が当時存在していれば、どうしただろうかと考えます。
だからこそ、同じ状況になっては「困る」んです。
人がどう思うか、私は関係ないです。
「同じ状況になってはいけない」と言った方が、事なきに済むのは分かっていますが、私がただ一つ自分に銘じ、命じているのは、「自分の考えが他人と同じだと思うな」です。
これは、「押し付けることができた」立場にいたときの経験からの教訓です。

大村京佑さんのユーザアバター

ソナムさんの「大義」の定義は間違っていないと思います。
ソナムさんがおっしゃる通り、カミカゼ特攻では「悠久の大義に生きる」という言葉が使われました。
そしてこれは伝説のためというより、むしろ死後の世界をイメージしたものでしょう。
僕は死後世界を信じていますから、肉体は滅びても魂は生きるという考え方は理解できます。
しかしたとえそうではあっても、全員が死ぬことを大義とする考え方はやはり理解できません。
誰か生かすために自分を犠牲にして、それで魂が生きるという考え方なら分かります。
しかし全員が平等に死ぬことで、いったい何が得られるのか?
おそらくあの世で再会したときに、肩を叩き合って「みんな死んだね、俺たちは仲間だな」と安心するためでしょうね。
日本的な無理心中メンタリティです。
僕はそこに加わりたくありません。
そういうところは個人主義です。

昨夜は時間が無く、中途半端な投稿になり失礼しました。
まず、「無」「空」について断言していますが、「すべて」に近いのかなと思いますが、実際はよく分からないまま使いました。
しかし、少なくとも、「諸行無常」や「武士道」とか、誰かの解釈が入ることで、一つの解釈の中に取り込まれ、それが人を誘導してきたという感じはあると思います。

「日本軍が兵の降伏を許さなかったのは、それを許すと投降者が続出して戦争にならなかったという理由は小さくないと思います。
特に日本兵は捕虜になると言わなくても良い味方の情報を進んで敵に話していました。」
これは、「一億玉砕」が、個人には浸透していなかった、ということでしょうね。
職業軍人さえそうであったらしく、召集された民間人ならばなおさらでしょう。
しかも、軍人は「よく分かっていた」のに対し、応召軍人にとっては、上官が人格者だったら純粋に一億玉砕を信じたでしょう。上官が人格者ではなかった場合は、捕虜になると積極的に日本軍に不利なことを話したかもしれません。
何が伝えられるかによって、後世で知られる「事実」は変わってきます。
捕虜が言わなくてもいいことまで話した、というのは、全てではなく、そういうこともあったということでしょう。
また、その証言が米軍からであったならば、あらかじめの戦略とも思えますね。
「軍曹は〇〇と言ったが、本当か?」「軍曹が?そんなことまで・・・」「そうだ。上等兵のあなたが知っていることを話すことは裏切りでもなんでもない」・・・・・・そういうやりとりは「日本人は他の人が同じことをしていれば、してもいいと思う傾向がある。まして、自分より上の立場の人間が行えば、それに従うことは正当化される」などと分析されていれば、ありうるのではないでしょうか。疑えば、「A軍曹」の情報ではなく、別の人間から、また米軍が独自に得た情報だったとしても、「事実」として進んでいくのではないでしょうか。
もちろん、話さなくてもいい情報を、自己保身のために積極的に出した人もいたでしょう。
しかし、日本がどんなに酷い集団だったかという「歴史」を作るために、一部で起こったことを、それが常だったように広められたという話も聞きました。その話自体も、誰が出したか、もしかするとアメリカなどが出したとは限らず、日本の旧軍を貶めようという意図を持った日本人かもしれませんし、全ては「そういう話もあるんだな」というぐらいで受け取るようにしています。

特攻関係で、特操一期の方のお話を聞く機会がありましたが、彼らは誰のことも批判はしませんでした。
学徒動員の方々ですから、他から聞く話からすれば腹が立つこともあったと思います。
意見を訊けば話されるかもしれませんし、恨み言を引き出すこともできると思います。
テレビで当時の軍を強く批判している方もいらっしゃいますが、その方は誘導されているのではなく、その方自身の考えのようです。
同じことを体験しても、考えも意見も違いますが、お互いには批判されるようなことはないようです。
もちろん人間の器などという話でもありません。

自分で書き記されたものでなければ、聞き手の意図にあった話になりえます。
聞き手が「何を知りたいか」「何を伝えたいか」、それが自覚されたものか、自覚されていないかにもよります。
最近の報道などを見ていると、自分の考えが質問に反映していることに気づいてないんじゃないかと思われる「プロ」がいるんじゃないか、と思います。
気づいてやってるなら、「あざといなあ・・・」と(笑)。

今心がけていることは、できるだけ「一次資料」を探すことだけです。
一番いいのは、当事者に会うことでしょうけれど、それは限られますね。

最近納得するのは、「自分の中でさえも裁かない」ということです。
難しいですが。
また、行動を伴う場合には、何か立場を明確にすべきですから、頭の中で遊んでいるだけだからこそ、こんなことを言っていられるのでしょうね。

一億玉砕の背景を探ることは、当時と変わったこと、変わっていなかったことを確認するために必要な作業だと思います。
もちろん、玉砕してもいいと思えば別ですが。

子どもの頃、原爆の話を聞いて、怖くてたまらなかったことが数日続きました。
ある日、スキップしながら家に帰っていたら、不意に、「原爆だったら、お母さんも友達も、みんな一緒にいなくなるから、怖くないんだ」と思いました。
怖くなくなった途端に、その先は全く考えずに済むようになりましたが、大人になってその続きを考えるようになるとは思いませんでした。

それにしても、他の方がどう思われていらっしゃるのか知りたいです。
私の投稿ばかり見えているのは、私のPCだけでしょうか?(笑;)

大村京佑さんのユーザアバター

日本と欧米の民族性の違いを表す例としてよく引き合いに出されるのが将棋とチェスのルールの違いです。
将棋のルールでは相手の駒を取ったら自分の駒として使えます。
反対にチェスのルールでは取った駒は使えません。
アメリカの捕虜になった日本の将校が飛行機に乗ってかつての味方が隠れている洞窟の位置などを敵に教えたという話がアメリカ側のニュースになりました。
捕虜は自分の名前や階級以外の情報を敵に教える義務はありません。
その人は将校ですからジュネーヴ条約を知らなかったと言うことはないでしょう。
ひとたび捕虜になったら敵に献身的に協力するのは日本人の民族性だと思います。
主義を持たないことが日本の主義です。
主義がなければ立場立場で主張を変えることができる。
また、恥の観念を強く教育された日本人はひとたび捕虜になるともう日本には戻れないと考える。
そこでどうせ帰れないならと思って必要以上に敵に協力するのかもしれません。

>それにしても、他の方がどう思われていらっしゃるのか知りたいです。

最近はこのブログ、アクセスも減っていますから皆さん興味ないんでしょうね。
残念ですが。

将棋は難しくて分かりませんが、そういうものですか。
アメリカのニュースの話は、米軍の宣伝ですから、その将校が喜んで協力したにしても、他にもそういう兵が多くいたかですね。
個人的には否定したいです。できるだけ客観的になろうとしても、特攻隊や飛行兵寄りに居るので、どちらかといえば日本軍肯定派になりますから。

アクセスが減ってるのは私のせいもあるかも、と気になってます。
話がオタクすぎてるんじゃないかと。

精神世界の話も大好きです。
どうして予知やデジャヴが成り立つのか、ミディアムがなぜ赤の他人のことを言い当てることができるのかとか。
一方で最近とても分かりやすい粒子物理学の本があったので読んでみたら、全てが粒子の刺激による脳の反応のように思えてさびしい気もしましたが。
たとえば、臨界の青い光というのは、どの粒子かが脳を通過したために「見えた」と感じたものだというんですが、それでも、なぜそこに居合わせる人生になったのか、とかは運命とか何かあるんじゃないかと思います。
出来事が人を変えるのか、人が出来事によって変わろうとするのか、まだまだ分からないことがたくさんあります。

絶対に信じない、という人もいるし、それはそれでいいのですが、最近は、不思議な世界の影響を受けやすい人が、そういう事象を「気のせい」や物理現象のせいにしていることで迷惑をこうむることがあり、早く証明されてほしいと思います。
具体的に言うと、私には聞こえないし、何もしていないのに、「大きな音を立てるな!」と言う人が身近にいます。
最近ようやく、その音はその人にしか聞こえないのではないか、と思うようになり、そちらの方が納得できる状況が多いです。
それとも、その人の脳には、私よりも格段に多く粒子が通過するのかもしれませんが、理由はどちらにしても、その人にとっては私が悪いことになっているので困ります^^;

最初の話題について思いついたことがあります。
その将校は、自分が捕虜になったことで、後に卑怯者呼ばわりされるのが嫌で味方を攻撃させたかったのではないかということです。もっと恐ろしい推測をすれば、自分が捕虜になったことを、やむを得ない状況まで戦った挙句だったとしたくても、事情を知る人間がいたらまずい・・・ということで・・・。
利己的な動機の殺人や隠ぺいは平時でもありますから、そういう人がたまたま将校だったということとも考えられます。
もちろん、これは推測の一つであり、あくまでも、「彼は、やむをえず案内したことを米軍の宣伝に利用された」、と思いたいです。
米軍を悪く言うつもりもありません。これは戦略であり、作戦の一つですから。

戻してすみません。
アクセスが増えますように。

空気って、何かなあ、と考え続けてました。
どうして、「汚染物質は拒否したい」のに「それを言ったらイケナイ」と思うのか。
「言ったらイケナイ空気」「言わせない空気」があるからですが、その空気はどこから来るのか。
「空気」を「空気」と認識するのは人間だけで、人の間にも当然ありますよね。
人とうまくやっていくために、日本で必要とされるものは「和」。
つまり、「大和」が「一億総特攻」の先駆けとなるのは必然だったのですね。
言葉遊びですが、自分では腑に落ちました。
ならば、日本は「大和」は、葬ったはずなんですけどね。
あ、そうか。「宇宙戦艦ヤマト」で復活しましたね。
私は戦記ものを好んで読んでいたのですが、作者は「『英雄』を生み出すことのない世の中を」というつもりでも、「英雄譚」として受け取られてしまったものも多いかもしれないと思います。
「英雄」を奉るのも問題と思いますが、かといって、過去の日本を全て悪に仕立てあげるのはもっとえげつない感じがします。
それでも、人気俳優のKT氏が、「実写版ヤマト」、「南極物語」に続けて出ているというのは、日本人に何を思い出せと意図されているんでしょう。
こういうことを書く一方で、「南極物語」を見て涙を流しました。
思考と感情の対立は、脳科学では「アリ」なようですが、感情に流された方が楽な気がします。
それは「無責任」というよりも「自己保存本能」であるようです。
アメリカは利己主義とか個人主義とか「ジコチュー」であるようなイメージを抱いてきましたが、最近「アメリカ人は協調性を大切にする」と思わされる出来事がありました。
協力したり、助けたりすることが当たり前だと思っているアメリカ人も「和」の精神はあるようで、「空気」もあるようですが、日本人と違うのは、彼らが自分の「正義」を持っていて、それにしたがって行動する義務を負うことが集団の一員としての要件だとしているように見えるところです。
私は成人式に参加してからずいぶん経ちますが、いまだに「自分の正義」はできていません。
以前は「国の正義」を自分のものとしていましたが、それを失くしてから迷い続けています。

この記事自体が特攻隊に対する侮辱です。
元特攻隊員も言っている。

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