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若者は無職を恥じるな。恥じるべきは古臭い考え方にとらわれること。

前回のエントリーで首都圏から岡山に移住することを書いたところ、ツイッターで「こんなにサクっと引越しするとは、どんな人なのだろうか?」というコメントをいただきました。
自分では普通の人間のつもりですが、生い立ち家庭環境などを考えると確かに普通ではないかもしれません。
僕がサクッと地方に移住できるのは、まず無職だからです。
ある程度の蓄えはありますが、しかし無職です。
ではどうやってその蓄えを作ったのか?
ブローカー業です。
芸能ブローカーを含む何でもブローカー。
あやしいですね。
イメージ悪いです。
しかし敢えて言います。
僕は無職のブローカーです。
僕がリア・ディゾンをスカウトした時、協力してくれたフランス人モデルがいました。
リチャード・ガッツォという男で、日本の芸能界の実情について詳しくリアに説明してくれました。
その彼が言います。

日本では仕事はとても大事なことで、仕事がないと社会では認められないし、色んな意味で社会人ではないと思われる。
http://kayskayomura.com/ja/node/22
richard1.jpg

その通りです。
日本ではメディアが人について報道する時、名前、年令、職業がセットです。
こちらは読売新聞の今日のニュース。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120201-OYT1T00551.htm
山形市下条町の無職山家武義さん(当時71歳)方で2010年10月、山家さん夫婦が死亡した火災で、警視庁と山形県警は1日、放火殺人事件と断定し、合同捜査本部を設置した。
この事件を巡っては、東京都江東区の大塚達子さん(当時76歳)殺害事件で、1月に殺人と現住建造物等放火などの疑いで逮捕された無職、浅山克己容疑者(46)(名古屋市昭和区)が放火を認める供述をしている。
(2012年2月2日09時03分 読売新聞)

「46歳無職」はまあ良いとして、「71歳無職」と表記することにいったい何の意味があるのでしょうか?
71歳なら普通は無職です。
こちらはワシントンポストの今日のニュースです。

http://www.washingtonpost.com/local/crime/suspect-denied-bond-in-va-acti...
By Matt Zapotosky, Thursday, February 2, 9:56 AM

The man charged with killing an Alexandria activist was ordered held without bond Wednesday, as Prince George’s County homicide detectives continued their search for other suspects, authorities said.

Linwood Johnson, 49, is charged with the first-degree murder of Lenny Harris, 53, whose remains were pulled from a well in Fort Washington late last week. Harris, who lived with his wife in Del Ray, was known in Alexandria for speaking out for the underprivileged, and he made an unsuccessful run for the City Council in 2007.

アメリカのニュースは名前と年令だけです。
あと珍妙なのが若い女性の「家事手伝い」。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/111025/waf11102513470013...
産経ニュース 2011.10.25
滋賀県守山市のアパートで昨年12月、同県草津市大路の家事手伝い、奥村尚代(なおよ)さん=当時(24)=を殺害したとして、殺人などの罪に問われた奥村さんの元交際相手で元会社員、井ノ口義一(よしかず)被告(36)の裁判員裁判の初公判が25日、大津地裁(飯島健太郎裁判長)であり、井ノ口被告は「間違いありません」と起訴内容を認めた。

家事手伝いって職業ですか?
給料をもらっていないのだから職業ではないですよね。
職業がないのなら無職のはずです。
女性に「無職」は失礼だから「家事手伝い」ですか?
それって男性差別ですよね。
要するに日本という国は無職の男性に圧力をかける社会なのです。
僕もこのブログを書いていて、「くだらないブログなど書いてないで男は働け!」と言われました。
http://kayskayomura.com/ja/node/39#comment-723
欧米人は人の宗教や考え方にはこだわります。
それがその人の人格を作っているからです。
しかし職業にはこだわりません。
職業と人格は別のものであり、職業とは単に食べていく方法に過ぎないからです。
しかし日本人は職業と人格を同列に考えている。
日本はかつて身分と職業が一致する社会でした。
武士(軍人・官僚)は偉くて教養がある。
農民(農業)はその下。
エタ・非人(食肉業)は人間以下。
職業が人格に結びつく。
今は若者に仕事がありません。
世の中、理解のある親ばかりではありませんから、世間の目が気になるという理由で子供の無職を責め立てる親は多いでしょう。

yaruo400.jpg

そしてそれが理由でノイローゼ、うつ病になっている若者は多いと思います。
しかし無職の若者の皆さん、無職を恥じる必要はないのです。
君たちが無職なのは君たちの努力が足りないからでは決してない。
君たちが無職なのは君たちの親が御都合主義だったからです。
その理由についてはここに書いてあります。

アメリカにNoを言ったら中国がアジアの工場に - 大人たちが敢えて語ろうとしない日本が転落した理由
http://kayskayomura.com/ja/node/2

日本はモノ作りで成長しました。
しかし今や地球上にはモノがあふれ、これ以上のモノ作りは人類の生存を危うくする。
君たちが無職でいることは、むしろ地球に優しいことなのです。

無職を恥じてはいけません。
恥じるべきは古臭い考え方にとらわれて、そこから抜け出せないことです。

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コメント

今の若者達は可哀相だと思います
たしかに物には不自由しないでしょうが、将来への夢とか希望が持てませんからね
蛇の生殺し状態だと思います

大村京佑さんのユーザアバター

大人が子供に与えるべきはおカネではなくて希望なんですよね。

古い体質や常識や見栄、むしろ邪魔です。
古い想い出にとらわれて「昔はよかった」と嘆いてばかりでは、子供達に何も残せはしないでしょう。

なんだかんだいって、戦後日本は確かに他力本願でしたね。欧米にとっては、働き者の工員が沢山いる大規模工場みたいなものだったのでしょう。
私も人に仕事を依頼するケースがあります。技術的に天地の格差があるなら別ですが、同じ程度のクオリティなら安いほうに任せます。同じようにアメリカさんも、人件費の高すぎる現在の日本には頼まないでしょう。それはバブル時代前後に日本が中国や東南アジア諸国に対して行ってきた戦略と、全く同じことですよね。

日本も新たな道を模索し、方針を転換していく時代に入ったということなのでしょう。
経済大国という大看板にこだわる必要性が、そもそも私には分かりません。いいじゃないですか、世界10位でも20位でも。おマンマさえ食べられるならどうってことはありません。

私も28歳まで無職で、定職に就いたことがありません。バブル時代に苦学生をやったおかげで、コイツらとは絶対一緒に働かん!コイツらは敵だ!などとヒネてしまいました(笑)
風俗の店長から工事現場まで色々やりましたが、その間の経験で分かりましたよ。人は何をやっても生きていけるものです。そして、雨露しのげてご飯さえ食べられるなら、それでいい。楽しみや遊びは自分でなんとでも工夫できるし作れるものです。別にお金がどうしてもいるってワケじゃない。

人に合わせる必要なんかないんです。己の道を見つけて、ひたすらそこを歩けばいい。私みたいなハチャメチャな生き方でも、本を書いたり思わぬ所から仕事が来たり、いつのまにやら普通の暮らしが出来ていますからね。

大村京佑さんのユーザアバター

人は何をやっても生きていける!
それ大事ですね。
その考えさえ持っていれば、うつ病になることはないんです。

お久しぶりです。
ようこそ、岡山へ^^
と申しても私は九州在住なのですが。

全く同感です。
無職になってカードを作ろうとしたらダメでした。
養老孟司氏も、辞めてカードを作ることが難しかったそうですので、私ごときでは当然と思いましたが、けっこうめげました。
自分は何も変わらないつもりだったのに、仕事がないと、全く信用がないのだと思うと。
とりあえず「仕事」があると、支払い能力の有無にかかわらずカードは来るそうです。
そうやって経済がダメになってるんじゃないかなあと思います。
もちろん会費次第では作れるのでしょうけれど^^;

それとは別ですが、若者の無職の問題は、人を減らしてきた「大人社会」側にありますね。
昔はとりあえず、何かの仕事にはつけた、そこで鍛えられて一人前になっていった。
しかし、今は、鍛えようとすれば口答えし、スネて、挙句には逆切れ、という「若者イメージ」が定着もしていると思います。
「大人」の側に、それを抑える力もなく、幼少時から容認されてきた甘えを引きずっている「若者」も確かにいます。
それでも、多くの「大人」は、無難に人を選ぼうとしますし、「おれが育ててやる!」と言う人はワンマンとか言われて敬遠されます。
政治は表面だけ、その場しのぎばかりです。
庶民は安物買いに走ります。
見えないところに手や時間をかけて生産するモノの価値を認めることができれば、日本の雇用はもっと健全化できると思います。
それから、見合う実力を補う努力もせず、終身雇用に胡坐をかいている「大人」たちを何とかすれば、若者だけでなく、全体の勤労意欲も増し、効率もよくなると思うのですが。
そういう人々には、「古臭い考え」にとらわれ、自分の人生も無駄に過ごしていると感じて苦しんでいる人もいると思います。
まあ、それも人生ですが。

大村京佑さんのユーザアバター

育てる。。
素手で生徒にトイレ掃除をさせる広島の中学がニュースになりましたが、それで子供を育てているつもりの大人もいますから、今の子供が甘えているのかそうでないかはケースバイケースでしょうね。
何も教えられない大人たち。
閉じこもる子供たち。。

大村さん、はじめまして。
たまたまこのサイトにお邪魔しました。私はいわゆるアラサーの女性です。今、色々な道をへて、やっとやりたい仕事を見つけました。
技術職で、様々な技術や勉強をすべく、一年いた職場を離れ、今新天地を探しています。
ですが、両親と同居している環境のせいか、私が転職すると言うと、猛反対にあいます。終身雇用第一主義の両親世代と、今や誰でも会社やお店を開ける自由時代の考えの違いなのか。。。

なぜ応援から入らず、否定からなのか

とよく喧嘩になります。希望こそがやる気になるのに、とても残念です。。。
ちょっと話がそれましたね。失礼いたしました。

大村京佑さんのユーザアバター

たてこさん、ようこそ

僕のブログの過去記事に目を通して下さい。
これから大変な時代が来ます。
親の言うことを聞くよりも、自分が生き延びることをまず優先させてください。
東北大震災で80歳の老婆を助けるために7人の40代男が津波に飲まれた例がありますが、本当にバカげた話です。

大村さん

少し前から時々このブログを拝見していました。

いったいどんな方なのかと興味をもっていたのですが、この発言「東北大震災で80歳の老婆を助けるために7人の40代男が津波に飲まれた例がありますが、本当にバカげた話です」には、少し驚きました。

あなたは「80歳の老婆」の命を「7人の40代男」の命と比べるのですか。そして、はっきりと「7人の40代男の命」の方が大切だと思うのですか?

あなたには母親はいませんか?

なにより人の命を助けようとして死ぬことは馬鹿げたことですか?

いろいろと見聞も広く知識も豊富で器用な方とお察しいたしますが、この発言を見て正体見たりというか、典型的な現代の日本の男性というか、残念な方なのかなぁと思いました

命の重さ・尊さは一人ひとり同じですが、命の長さを考えたときには、このかぎりではないと思います。
例えば、80歳の老婆を助けるために10代の若者がたくさん亡くなったとしたら?、、、「ばかげている」とは私は表現しませんが、でもそれとかけ離れてはいない感情を抱きます。もしくは、言葉にだすかださないか、だけの違いかもしれません。

ですが、私が大村さんのこの発言から受け取ったのは、7人の若者の命>老婆の命ではなく、このことそのものが嘆かわしい、、、う~ん、つまり、そういった境遇、成り行き、運命そのものが理不尽でばかげているということです。
表現とは難しいですね。でも、発言すること、発信することはとても大事です。
だから、このディスカッションは私も興味があります。
横から失礼しました。

大村さんの文章から、命の軽重に言及しているとは言い切れないと思います。
確かに、私もどきっとしましたが。

80歳の女性は、自分のために40代の方々がなくなることを望んではいなかったと思います。
40代の7人の方々は、ただ、見過ごせなかった、ということだと思います。
亡くなったのは、結果です。

しかし、そこで、「分けて考える」という発想がいるのではないか?という問題提起だと思います。

あとどれぐらい生きるか、何が、誰が役に立つか、は、第三者にはわかりません。

その時、考える主体は「自分」である、ということです。
亡くなった7人の方々は、「助ける」という決断を自分でしただけであり、80歳の方だけを助けるためでなく、行くことによって仲間を助ける、ということもあったのだと思います。

それでも、今後同じことがあったとしても、「助けに行かず、その方の死を無駄にしないために力を尽くす」というのも、「助けに行って、共に死ぬ」というのも、一つの決断であって、どちらにしても自分が納得する「生き方」になればいいのではないでしょうか。

命は先に生きた者が先に行くのが「自然」であり、後に生きる者は自分の面倒は自分で見なくてはならないのだから、自分が納得する生き方をすれば、行く人にとっても良いことだということではなかったかと思います。

大村京佑さんのユーザアバター

>あなたは「80歳の老婆」の命を「7人の40代男」の命と比べるのですか。そして、はっきりと「7人の40代男の命」の方が大切だと思うのですか?

当たり前ですね。

>残念な方なのかなぁと思いました

僕にはあなたが残念です。

ちなみに二人の方が僕を擁護する発言をされています。
ありがたいですが、僕は批判をまったく気にしていません。
日本は理性よりも感情を重視する文化ですが、それゆえに福島の住人の気持ちを重視して報道を控えたり、できもしない復興の夢を抱かせたりというバカげた現状があります。
そういった馬鹿げた日本の状況を馬鹿げているはっきりと言うのがこのブログのテーマでもあります。

緊急事態と平常時との違いで緊急性のある場合まず自分の身を守るのが一番、人の手を借りないように自分の身は自分で守りましょう。
私は老人に近いです。明日死んでもおかしくないのです。社会の為、家族の為になんにも出来ないのです。
将来まだ未来がある人を巻き添えにして死ぬのは嫌です。
最後まで人に迷惑をかけたくないのが本心です。

大村京佑さんのユーザアバター

その潔い精神に敬意を表します。

「大村さんの文章から、命の軽重に言及しているとは言い切れない」と書いた者です。
私も以前は大村さんと同じように考えていました。
また、80歳の一人を助けるため、40代の7人が亡くなったと見た瞬間、「もったいない」と思いました。

批判はしませんし、考え方はそれぞれだと思いますが、命に軽重をつけるのは恐ろしいです。
万一同じ状況になれば、私は早い順番で死が回ってきます。
80歳の女性も、昔は働いていたかもしれません。
今、生産に寄与する確率が低いからといって、「もう死んでもいいだろう」というのは、姥捨て山の発想ではありませんか?
今、直接生産に寄与する仕事に対して、人間は多すぎます。
生産に寄与しない人間が死んでもいいのなら、どの世代にも死んでもいい人たちがいるということになるのではないでしょうか。
たとえば、農業を無農薬で行うとすれば、割箸で虫をとっていくという仕事もできます。
除草剤を使わず、人が草むしりをすれば、雇用枠も広がるでしょう。
「私はこんな仕事をするために生まれて来たんじゃない、勉強したんじゃない」と思うのは当然でしょうが、それで何もせず、消費だけしていては、無職の高齢者と立場は同じではありませんか?
消費者としてお金を回すだけならば、生産に寄与しない若者と、それまでに汗水たらして働いてきた高齢者のどちらでもいいのではないですか?
そうなれば、80歳の方が生き残ってもいいのではないでしょうか。

7人の方が亡くなったことは大変残念なことですし、そうしなければ今頃復興に寄与していたということは理解できます。

現実は、姥捨てをしなければならないほどひっ迫しているのでしょう。
それでも、人間の社会は、ムダと思えるものを抱えることによって、他の動物と区別されるのではないでしょうか?
いろいろな理想を掲げ、何かを選べば何かを捨てるという限界をなくすために、「進歩」と思われる方へ向かおうとしてきたのが、今までの人間の社会だと思います。

死んでいい者、生きていい者ということに、1945.8.15.に停戦の宣言が出された戦争で、在学徴集延期臨時特例(昭和18年勅令第755号)によって文系の学生から兵にされていったことを連想します。

私は匿名投稿者ですが、メールアドレスを記入していますので、何かありましたらそちらにお願いします。
大村さんに対しては逃げも隠れもしません。
よろしくお願いします。

管理人追記:投稿者:ソナム

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何か勘違いしてらっしゃいますね。

>今、生産に寄与する確率が低いからといって、「もう死んでもいいだろう」というのは、

そんな話は誰もしてません。
あなたは妄想の傾向があります。
ブログを始めた頃ならお相手してあげたのですが、というか、以前にメールでお相手しましたよね?
うつ病がテーマのときはお相手しますが、それ以外の時は発言を控えてくださるとありがたいです。

メールでお話ししたことはありません。

専業主婦の私もまた、無職扱いです。
今殺されるわけにはいかないです(汗)

大村京佑さんのユーザアバター

専業主婦は専業主婦でいいじゃないですか。
無職扱いとか感じる必要はないし、まして殺されるって。。。

自分は見捨てられていると感じている人って多いんでしょうか?

こんばんは
先日友人に「今のままで結婚して疲れて帰ってきた相手に『お疲れ』と言えるのか」
と言われ憤慨しましたが何も言い返せませんでした。
いずれ淘汰されゆく存在だろうか?と不安を感じていたのも事実です。
そのタイミングでこの記事を拝見し少し気持ちが落ち着きました。
未だ現状は変わりませんが、一言感謝を伝えたくコメントいたしました。
おやすみなさい。

大村京佑さんのユーザアバター

「今のままで結婚して、 疲れて帰って来た・・・」かな?
それとも「働いて疲れて帰って来た・・」の間違いかな?
よく分からないけれど、あなたの友達はあなたに「共働きが当然」と言っているのかな?

専業主婦というポジションが今問題になっているのは事実です。
最近の若者が結婚しない理由の一つは男の側が専業主婦というポジションに納得していない。
不公平感を抱いている。
あなたの友達がどのような意図で言ったのか分からないでなんとも言えませんが、夫への献身的なサービスこそ専業主婦の仕事なら、共働きを考えるよりも専業主婦のプロになることが大事なのではないかな。

はじめまして。
>>無職を恥じてはいけません。
恥じるべきは古臭い考え方にとらわれて、そこから抜け出せないことです。
人は何をやっても生きていける!
それ大事ですね。

まさに目からウロコでした。
私自身中卒なので、面接じたい受け付けている企業はあまりありません。
あいつは高校もろくに出ていないから、こき使ってもやめやしないとか、きつい仕事はあいつに全部やらせようとか、経営者とかが話しているのを何度か聞きました。

また好きな女性に仕事を辞めるといったら、小さい声で付き合うメリットがないと言われました。

また若いころは社員をやめて、コンビニでバイトをしようとしたらー君なにやってんの?頭大丈夫?とローソンの本部の人みたいのにいわれました。

お金と職業でしか人を判断しない日本人がほとんどなのかもしれませんね。

大村京佑さんのユーザアバター

猫さん、ようこそ。
話してくれてありがとう。
僕はそういった話を聞く機会がほとんど無いので参考になります。

中卒は奴隷じゃない。
恋愛はカネじゃない。
社員だろうがバイトだろうが、人がどう生きるかはその人の自由。
そういう人として基本的な見識を持たない人たちは品性下劣な人たち。
そしてそんな品性下劣な人たちに囲まれて生きるのはとてもつらいこと。
でも気にしてはいけない。
人が生まれてきたのは、そういう下劣な人たちに囲まれることで下劣とは何かを学ぶためだから。

職業というのは生活するための手段であり、人生の目的とかその人の人格を表すのものではない。
いままでの経済成長には会社社会の価値観は都合が良いのですが、そういう時代ではありません。

貧しくても家族が沢山いてそれを大切にしていた社会の方が今の社会より幸せだった思います。肩書きもお金も生活を安定させる為の手段でしかないはずですが、それを人生の目的だと若い世代が理解するであれば大きな問題と思う。今の社会には間違いだらけのシステムがたくさんありますので、若い世代がどう社会を良くするか違った目でみれないと日本人の将来はどんどん不幸になります。

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