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信仰とはなにか?

masaです。
現中国では、脱線した列車を証拠隠滅のために まだ、乗客が車内に残っているか満足に確認もせず、地中に埋めてしまったり、あるいは、車に轢かれ瀕死の子供を誰も助けず放置したり、こういった話は枚挙に暇が無く、全く、道義が地に落ちている。

しかし、かつて儒教と言うものが中国にはあった。
「大義に生きる」とか、「義を重んずる」とか、いずれも中国から来た言葉だ。
しかし、ここまで中国が腐ってしまった原因は明確だ。
大紀元に、素晴らしい名文があったので、以下に貼り付けます。

 およそ150年前、共産主義の潮流が起こった。その時から、少なからぬ人が、この共産主義をただイデオロギーの一種としてとらえ、またそれを理 想への熱烈なる追求として理解したのである。

 しかし1世紀半が過ぎ、人々は、共産主義がもたらした「赤色の災禍」を目の当たりにすることになる。暴政、特権主義、腐敗、殺戮、迫害、洗脳、 世論操作、歴史の歪曲など、その災禍は枚挙に暇がない。人類史上、最も悲惨だったとされる二度の世界大戦における犠牲でさえ、共産主義の暴政下に おける受難者数には比べようもないのである。

 共産主義。この西方からやって来た幽霊は、不幸にも、中華民族を覆いつくしてしまった。共産党は、暴力と殺戮、デマと虚言を弄するという統治術 によって、中国人の肉体と精神を完全にコントロールしてしまったのである。中国人は、その恥辱に耐え忍びながら、屈服して生きるしかなかったのだ が、その過程で、肉体と精神をしばる鎖や枷がますます重くなったのに気が付いた。中国だけを見ても、数億人が各種の政治迫害を受け、8000万人 以上が非正常死させられているのだ。

 この場合、肉体への傷害は(肉体の消滅も含めて)最も恐ろしいことではない。最大の災難は、中国人の「背骨」が打ち折られ、中華の伝統文化が破 壊され、善悪の基準が転倒して道徳が退廃してしまったことだ。これはまさに、共産党が中国社会および世界にもたらした最大の災難と言えるだろう。

 悠久の歴史において、無数の先賢が命をかけて義を守ってきた。その浩然の正気は、長く世に存在し、代々にわたって中国人を激励し続けてきたので ある。天理を遵守し、仁と義を胸に抱き、信に誠実にして礼節を守る。さらに、富貴にして淫ならず、貧賤にして移ろわず、威武にも屈することもな い。そのような五千年の中華文明が、絶えることはなかったのである。

 そこへ共産党が来てしまった。騙しのスローガンを用いて善良な民衆を扇動し、正統な文化を野蛮にも打ち壊したため、文明の根幹は生木を裂くよう に引き裂かれた。「暴力」が文明にとって替わり、「虚言」が真相に化け、「党性」が人間性にすり換えられた上、共産党による政治が、全ての良知善 悪の判断の基準となってしまった。人々は、たとえ罪悪や不義、不公正に対しても口を噤み、冬の蝉のように声を殺して耐え忍ぶしかなかったのであ る。

 中国共産党による60余年の暗黒統治の結果、中華文明は最も危険な時期に至ってしまった。環境汚染、取り尽しによる天然資源の枯渇、さらに最も 憂慮される事態は、共産党が伝統的な信仰や道徳を破壊したため、そこに信仰の「真空地帯」が生じたことである。それにより人々は道徳の基準を失 い、伝統的な中国文化も中華文明も完全に潰されてしまったのだ。

以上です。ほんとうに、悲しい現実です。

しかしながら、ここで言う信仰とは、はるか彼方の天に坐す神への信仰ではない。少なくとも儒教における、信仰とは、そういった超越者への信仰ではなく、むしろ、道理とか、道義とかいったもので、言って見れば、自らの心の中にある、座標軸のようなものを指している。

従って、孔子の言葉にあるように、「怪力乱神を語らず。」であって、儒教に在っては、自分を超えた存在を「神」と呼び、其処に座標軸を置くような信仰ではない。

むしろ、「道徳」のようなものであって、この「道徳」で、充分に、人は、大義に生きるようになるはずなのだ。

神という、架空の超越者を、規定し、そこを、信心の対象とするような、いわゆる一般的な意味での、信仰がないと、人は、無秩序な アノミーになると言うのは、どう考えても誤りだと思う。

人は、道義、道理、正義、そういったものだけでも、充分、立ってゆけるはずなのだ。

日本においても、江戸時代や、さらにその以前の武家のたしなみは、儒学であって、これは、信仰と呼べるものではないが、
おのれを、正しく律することが出来たのだ。

フォーラム: 
大村京佑さんのユーザアバター

日本の場合、鎖国してかつてのムラ社会、相互監視社会に戻るならそれは可能でしょう。
身分制社会も復活させれば完璧かもしれません。

スウェーデンボルグ、ちょっと調べてみました。     うーん!
これは確かに、大村さんが説明に躊躇するのも無理が無いなあ。・・・と言う感想です。

シルバーパーチとか、そういった霊界通信の元祖みたいな人なんですね。

大村さんてボーンクリスチャンなんですか?
ボーンクリスチャンならばある程度理解できるけど、自分からこの信仰に入ったのでしたら、とても不思議な気がします。

大村さんのようなはっきりした人は、「宗教なんかアヘンだ、おのれの頭の中の論理と理性。これ以外の何に頼る必要があるか。神なんてものを引っ張り出していったいなんになるんだ。」

と、言うのが一番自然に感じるのですが??

イヤミで言っているのではありませんよ、

素直な感想です。

大村京佑さんのユーザアバター

親は無宗教です。
masaさんの年代は日本否定=共産主義でしたから、僕のような考え方は理解しづらいでしょうね。
僕は吉本隆明は読んでいませんが本田勝一は高校時代に読んでました。
その後、自分なりにいろいろ探求した上でスウェデンボルグにたどり着いたということです。

のらりくらりとした日本人には辟易していますし、大村さんの一般的な日本人では稀な、空気を読まない自己主張が新鮮で、まあ、言ってみれば好きなので、ちょっと頻繁に投稿させてもらっていますが・・・。

といって、太鼓持ちみたいな投稿は嫌だし、だからと言って、否定のための否定も、不愉快なんで、まあ、正直にやらせてもらっています。

スウェーデンボルグがそうゆう系統のひとであることがわかったので、ちょっとがらっと角度を変えた情報をひとつ。・・・

でも、大村さんが、がちがちのクリスチャンならば、一言、「異端!」で、おわっちゃいそうですけどね。

まあ、そんなこと言ったなら、スウェーデンボリも、異端のレッテル貼られていましたけどね。笑

10年ほど前に亡くなった方ですが、「金井南龍」さん 御存知でしょうか。

神道系のまあ、あえて分類すれば 行者さんということなのかもしれません。

生前、かなり過激な発言をされていて、正直なところ、わたくし自身も、眉につばをつけながら、彼の発言を読んでおりました。

しかし、一昨年、エジプトで、あの、イエスを裏切ったはずの、「ユダの福音書」が発見された。・・・というニュースが流れ、その中で、福音書の内容に関する、断片的ではあるものの、解説をナショナルジオグラフィックで、聞く機会があり、愕然といたしました。

と、申しますのも、生前 金井南龍さんが、おっしゃられていたことと、ほとんど同じ内容だったからです。

以下に、その金井さんの対談の本から抜粋して申し上げます。1980年出版の本です。

質問者「ところで、12弟子の一人でありながら イエスを裏切り、敵の手に渡したイスカリオテのユダ 、あれは、また、パウロと次元が違うんですか?」

金井「全然違います。パウロなんかより全然はるかに格が上です。ミタマのヒエラルヒアの問題なんです。ただ、役目でやっただけなんです。キリストの役目をやれといったら、あのユダは、キリストの役もやれるんです。あれは、ナアナアなんですよ。理解だなんてそんな次元のひくいものではない。同じぐらいの力が無いと、売れません。パウロにやらせたら、『とてもそんなこと出来ません』と断るでしょう。いかがです。フトマニクシロつまり、神様のシナリオを実践したのです。」

質問者「だけど、それを意識して実践したんじゃあないでしょう? 実践させられたわけで、だから個人的にはイエスを憎んでいたのではありませんか?」

金井「いや、憎むって言うのじゃあない。神様シナリオに書いてある役なんです。それを二人で実行しただけです。」

質問者「そうかなあ?」

金井「そして天国に行ったら、『あ、うまくいったナ。』それでいいんです。キリストもユダも割り切っているんです。二人のコンビネーションです。」

質問者「ふむ そうですか・。そこんとこがよくわからない。」

金井「神様シナリオとは、倫理道徳の次元なんていっさい介入し得る次元じゃあないんです。哲学の次元でも介入出来ない。神秘主義も介入できない。本当の神理 フトマニなんです。もう、涙も血も一滴もありません。そこの次元に行ったら。

以上です。このことを、数年前、エジプトで発見された、ユダの福音書のニュースでほとんど同じ意味のことが書かれていると聞かされ、ちょいと驚愕した次第です。

この対談集は、徳間書店から、「神々の黙示録」という対談集で出ていましたが、今は絶版です。

そのほかこの金井さんは、一般的な、輪廻転生説を否定されています。いわゆる霊界と言われる場所は、ワケミタマ つまり魂そのものではなく、その外皮に生きていた時の潜在意識をつけて 霊界送りにしたものにすぎない いわゆる「ハク」残骸なんだ、霊界とは、夢の島のようなもの 要はゴミ捨て場なんだ。・・・と言っています。ハクをまともに相手にする意味は無い、これらに対して、やれ先祖の守護霊だ、指導霊だなどと言うことは笑止だと。

まあ、面白がって読んでいた過去の記憶を、スウェーデンボリの解説を読んで、ふっと思い出した次第です。

ま、こんなところです。ただの、情報です。

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