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恋愛を否定する和の思想が未婚・オタクの原因です その10の3 衆道だけに見られた日本の純愛

前回の続きです。

日本の男色文化について、柴山肇著『江戸男色考 色道篇』の冒頭にはこう書かれています。

旧約聖書のソドム・ゴモラ以来、男色がある地域、ある時代にはなはだしく蔓延したことは、人類史上決して珍しいことではないが、江戸時代のように、女色と肩をならべて、一般社会に市民権を得、時代の性愛習俗として様式化されたような例は、あとにも先にもなかったはずである。

wikiページには次のように書かれています。

日本文化における同性愛
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B
平安時代末期には貴族や武士の間にも男色が広がり、中世の武家社会では主従関係の価値観と重ね合わせられ、衆道が大いに流行した。戦国時代の武家社会では、織田信長をはじめとして名だたる武将の多くが寵愛する小姓を男色相手にしていたという。同性を性的対象と見なさなかった豊臣秀吉は、むしろ例外的な存在だったといわれている。秀吉が農民出身のため武家社会における男色の風習になじめなかったこともその一因として考えられるが、庶民や農民階層においても、男色行為は行われていた。

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gaysamurai2.gif

「衆道」とは男色のことですが、武士道、剣道、茶道などと同じく「道」です。
男色の「道」。
つまり過去の日本において男色は変態行為どころか武士が追求すべき「道」だったわけです。
武士道のバイブルと言えば『葉隠』ですが、『葉隠』では衆道のあり方についても論じています。

http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/issue/pdf/9/9-09.pdf
「命を捨るが衆道の至極也。さなければ恥に成也。然れば主に奉る命なし。」

現代語訳すると、「命を捨てることが衆道の理想である。そうでなければ恥になる。しかしそれでは主君のために死ねない」となります。
ならばどうするか?
答えは「恋の至極は忍ぶ恋」だそうです。
つまり肉体関係を伴わない恋、精神的な恋ですね。
同じ事を別の箇所でも言っています。

http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/issue/pdf/9/9-09.pdf
情は一生一人のもの也。さなければ、野郎・かげまに同く、へらはる女にひとし。是は武士の恥也。「念友のなき前髪は縁夫もたぬ女にひとし」と、西鶴が書しは名文也。

「前髪」とは少年武士、「念友」とは少年武士の恋人のことですが、これも現代語訳すると、「恋の相手は一生に一人。そうでなければ男娼や淫乱女に等しい。これは武士の恥である。井原西鶴が’男の恋人を持たない少年武士は独身の女に等しい’と書いたのは名文である」となります。
つまり「武士は少年時代から好きな男を見つけて男同士の愛を貫け」と言っているわけです。
まさに純愛ですね。
では、なぜ武士道は男同士の純愛を説くのか?
三島由紀夫の解説が分かりやすいと思います。

http://www.geocities.co.jp/berkeley/9559/gayhistory8.htm
『葉隠』の恋愛哲学は男性同性愛に基礎を置き、女色よりも高尚であり、精神的であると見なされていた男色を例に引いて、人間の恋のもっとも激しいものが、そのまま主君に対する忠義に転化されると考えている[三島1983年]。
mishima.jpeg

武士にとって衆道は主君への忠義につながる道だったとのこと。
どおりで「道」なわけです。

(ちなみに「恋の至極は忍ぶ恋」を検索してトップから20リンクほどチェックしたところ、ほぼすべて男女の恋として解釈していました。つくづく御都合主義です)

では、武士にとって男女の愛とはなんだったのでしょう。
江戸時代の女性教育のテキストとして有名な貝原益軒の女大学を見てみます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%A4%A7%E5%AD%A6
(六) 妻は夫を主君として仕えよ。

江戸時代は序列社会です。
士・農・工・商・穢多・非人。
階級による序列、年令の序列、男女の序列。
双子の兄弟にまで兄と弟の序列をつけるのが日本の伝統でした。
日本語には敬語や謙譲語がありますが、これも序列です。
当然、夫婦にも序列があり、夫が主君で妻は家来です。
嫁は恋愛の対象というより、子供を産んでもらう人。
そもそも夫と妻は親の選んだ相手であって、自分で選んだ相手ではない。
恋愛結婚ではなくお見合い(家と家の)結婚。
夫婦の愛は親や子供を通じての間接的な愛でしかない。
それも主君と家来としての愛。
つまり、日本において(対等な目線の)純愛は男女間には存在せず、武士と武士のホモセクシュアルな恋愛にしか存在しなかったのです。
平安時代にさかのぼれば男女の純愛はあったでしょう(たぶん)。
しかし戦国時代以降、男女の純愛は無くなりました。
男女の駆け落ちや心中は純愛です。
しかしそれは社会的に認められたものではなかった。
男女が純愛を貫くためには家族や社会との縁を断ち切るか、あるいは死ぬしかなかったのが日本の文化です。
男女の純愛の否定、それが和の思想です。

また続きます



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コメント

>男女の恋愛の否定、それが和の思想なのです。

ということですが、江戸時代人気のあった芝居は心中ものです。
庶民感覚では決して男女の純愛を否定していません。

それともうひとつ。
男同士の純愛も、男女の純愛も究極は死を持って完成するという共通点。
一方は社会的に有益な死、一方は芸能・庶民文化で愛でられる死ですが。

テーマは日本人の死生観へと続くのが自然な流れであろうと思いました。
私、個人の見解を示すならば
死を前提とした生
その認識があるかないかが、文化的であるか動物的であるかの差であると思います。
今の時代、死を忘れて皆生きているような気がします。
皆、生まれた瞬間からいずれは死する事が当然であるにもかかわらず。
その事を念頭に置いた生が有益とみなされ、念頭に置いていないのが芸能で悲劇として愛でられるものであったのが過去の日本文化。
現代は念頭に置いていないものが、悲劇という結論に至るのを伏せて喧伝されている。
よって日本人は動物的な死生観しか持てなくなり、死=悲劇、という認識しか持てなくなってしまっている。
現代の日本人は、死=生の完成、といった認識が失われた空虚さの中に漂うだけになってしまったのではないかと危惧します。

拙文失礼いたしました。
大村様の次の記事に期待します。

40代・男より

ほんと気持ち悪い。

今回の話は実に興味深かったです。
大村様はお分かりかと存じますので釈迦に説法とは存じますが、
読者の方のために一カ所だけお書き添え申し上げたいのが
『葉隠』と『武士道』の違いです。

今回のお話の衆道や忍ぶ恋は『葉隠』の美学あふれる世界であり、
新渡戸稲造の儒教的、対西洋文化向けの宣伝的なエセ武士道とは違うものなので、
現代の日本の人が、それらを一緒くたにしている点が実に残念です。

『葉隠』は、モーリス・ブランショなどの美意識に通じる
超然としたところが興味深いところ。
衆道や忍ぶ恋を通じて触れていただき感謝しております。

純愛を否定する和の思想=オタク、というのも、
女性の身からすると、実に身体で実感できること。
引き続き楽しみにしております。

大村京佑さんのユーザアバター

これはこれはインテリジェンスあふれるコメントをいただきました。
感謝します。

新渡戸稲造が英語で書いた『武士道』は新渡戸武士道であって日本の伝統とは関係ないですね。
今の人たちがどれだけ新渡戸武士道に影響されているかは知りませんが、影響されているのでしょうか?
もし影響が大きいとしたら問題です。
そういえばこの人、五千円札にもなっているけど、プロパガンダをした人がお札になって良いのかという疑問がありますね。

モーリス・ブランショは知りませんでしたがフランスの有名な作家ですか。
「愛」と言えばフランス、フランスといえば「愛」ですね。
素晴らしい文化です。
日本はフランスのブランドをさんざん輸入したけれど、フランスの愛の文化はあまり輸入していない。
残念です。
何とか輸入する道はないかとたまに考えたりします。
関係ないけど渋谷のヴィロンのパンはフランスの味とまったく変わりがないとフランス人の友人が言ってました。

フランス思想は、善なる面しか見ようとしない日本人にとっては
対極ともいえるので、陰の側からの学びは大切だと思います。

モーリス・ブランショあるいは同時代のバタイユあたりの思想と、
『葉隠』の共通点をひとつ上げるとすると、
陽と陰の二重性にあるかと存じます。

例えば、『葉隠』の有名な台詞である
「武士道は死ぬことと見つけたり」
ですが、他の章を読むと、
「長生きすると、若いときに認められなかったことも
 認められることもある(長生きは悪くない)」
と、逆のことを言っていたりします。
しかし、世界を見るに、ものごとには陰と陽があり、
それは互いに結び合っている以上、明るい面だけを見るのはむしろ偏り。

311以降、陽だけではなく陰をこそ、しっかり目を開けて観るか否かが、
生き抜く力となっている気がします。
武士道などの美学だけでなく、日本人の恋愛観もそうでしょう。
オタクの人たちが好きな二次元の女性たちは、
自分たちに都合の悪い面を、最初から除菌された安全な存在。
世界のありようとはあまりに離れ、あまりに弱い。
女性が心を開いて信頼するに足らないのです。

大村様が日頃からコメントされているように、
今の日本は女性が支えているのではないか、と思うこともあります。
不条理を知りつつも、楽しく逞しく生きようとする。
それは希望ですね。

乱筆失礼いたしました。
これからも楽しみにしております。
どうぞご自愛を。

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