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日本の僧侶について

僧侶と言っても仏教。仏教の宗派すべてを含めて言いたいことがある。

謙虚で人格の立派な坊さんもいるのに、一部の坊さんは
人格に問題があって腹が立った。

権威と権力が好きな住職。
傲慢で視野が狭い住職。
金と女が大好きな住職。

精神病みたいな性格をポロリと見せる住職。

金が好きな住職は、1人の信者がお布施100万円出しても「少ない」と言っていた。

女好きの寺は静岡の大石寺で、少女の買春事件や
女性への性行為を強制する事件を何度も起こした。

危険なカルト組織とつながっていた寺も実際にある。

精神病みたいな住職は杉並区の赤い寺にいた。

伝統のある古刹では、精神病者を住職にすることはしない。

友人や知人や親せきに仏教を篤く信仰する人が多いので、
彼らには、住職の人がらをよく観察して寺を選ぶよう呼びかけた。

私自身は、仏教に幻滅している。

難解な理屈を長々と説くのを歓迎する一般人は、まずいない。

大村さんからみた日本の住職と仏教のマイナス面をお伺いしたい。

フォーラム: 

外壁が赤い寺の精神病みたいな坊さん、頭がまともじゃないって有名だよ。
格調高い寺で修行したらしいが、この赤い寺は寺としては歴史が浅い。

それに人の悪口やウソばかりいうそうだ。こんなのが住職になれたのがナゾ。

赤い寺の住職、たぶんこの人だと思うが
自分と仲の悪い人を不利に追い込むような文書を、自分の知人に配ったそうだ。

4年前か、5年前に、一人二人の知人じゃなくて、かなり大勢に配ったらしい。
証人として二人の人物のハンコまでご丁寧に捺印していたそうだ。

これが事実なら、本山から破門されても足りないと思う。

杉並区の赤い寺というのは
生楽寺のことだろうか。ここの住職には良くないうわさが多い。

修行中の若い僧侶はまじめで熱心な人ばかりです。
権力を持っている人たちの中に、悪い人もいるのは本当だ。

下井草のガイコツみたいな顔した住職、ありゃマムシみたいな性格だって陰で言われてるよ。

生楽寺=うそつき。毒ヘビ。

大村さん、寺の名前を書いたコメは消してください。
ここに書かれている寺のあるじは、本島に怖い人です。
何をするかわからないと言われています。放置していたら、何が起きるかわかりません。

管理人さんのコメントがないです。
宗教に詳しいひとなので期待してます。

大村京佑さんのユーザアバター

お返事遅れました。
身内の葬式でバタバタしてました。
タイミングよく仏教について考えていましたが、あの意味の分からないお経、ナンミョーホーレンゲーキョー、何か意味があるんでしょうか?
意味が分からない言葉をつぶやいたら功徳があるなんて発想は1000年以上前のものですよ。
そんな意味のないことをいまだに続けていて、誰も何の疑問も感じていないところが日本の仏教の姿だと思います。
最近はアマゾンがお坊さん便という派遣業をはじめて、「坊主は商売じゃない」とお寺が文句を言っているらしいですが、あまり説得力がないですね。
いまどき精神的に悩んだ人がお寺に救いを求めたりしませんよ。
そのお坊さんの派遣にしてもとりあえずはニーズがあるとして、そのうちに葬式にお坊さんを呼ぶこと自体が無意味だとみんな気がつくかもしれません。
お葬式にお坊さんを呼ぶなら、故人の生前に精神面をサポートして、その人の精神面をよく知っている人であるべきだと思います。
そのお坊さんが葬式で、家族すら知らない故人の心の裏側、悩み、思い、生き様、考え方などを話してくれたら、遺族も感謝を込めてお布施を出すんじゃないでしょうか。
身内の葬式をしながら、そんなことを考えました。

葬儀でも追善供養でも、必ずお坊さんを呼んで法要をしないと
先祖や故人が成仏できないと信じている人は多いです。

私の家庭は経済的に苦しいのですが、家族が法要を強く希望するので
何回忌という、周期がめぐってくるたびに、大枚はたいて供養をします。

法要や供養を続けたからといって、その家系が栄えたりするでしょうか。
残された子孫や家族の、心をなぐさめる意味の方が強いのではないでしょうか。

墓参りしないと不幸になるといって、相談者をビビらせる有名人も過去にいました。

墓参りと先祖供養を、貧しいながらも継続している人を何人も知っていますが、
その人たちの中には不幸・不運が続き子孫もなく、老後は孤独死しそうな人もいます。

なにごとも、過信してのめりこむのはかえって悪いと思います。
ほどぼとで良いではないか。

お寺も生活のために収入が必要なのは皆が理解していること。

それでも、法事では高額のお金を使う。富裕でない普通の家庭では苦しい。

いっそ、時代が大きく変われば供養法事の負担も軽くなって、富裕じゃない多くの家庭が
救われると思っています。

平成10年頃の新聞に載った事件で、「僧が少女を買った」というのがある。
その当時は静岡の大石寺にいた僧で、余罪もあったという。

昨年か今年になってからでも、日本各地で中年の僧が事件や問題を起こした。

「どこの寺でも起こりうる」という考えは、私は持ちたくない。
「そんなことは起きないのが通常だ」と私は思う。

難しい理論や専門用語を延々と聞かされても、その内容が、実際に役立ったことは少ない。

難しい理論を学び、過酷な修行に耐えて何らかの資格を得ても、
問題行動を起こす人が出てくるようでは「何のための修行」だろうか。

立派な人格者になる人も大勢いるというのに、それでも僅かな人達が問題を起こすのは、
修行と学問だけでは救われないものがあるからだ。

釈迦が生きていた時代にはなかった理論や教義が多すぎる。
原点に立ち返って、もっとシンプルで解りやすい仏教のほうが、
私は歓迎する。

釈迦の教えや昔の高僧の教えが、あとから複雑に発展したことも、
仏教ばなれを加速させる要素だと思う。

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