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老人は電車で席を譲られたらとにかく感謝して座れ!という話

僕は田園都市線をよく使います。

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この路線はたぶん首都圏で一番ハイソな鉄道路線だと思うし、乗客のマナーもそれほど悪くは無いと思うんだけれど、優先席に座っている人が老人に席を譲らないことがたまにあります。
この前なんかはかなり高齢の老婆が二子玉川から乗り込んできたのですが、優先席に座る5~60歳の男たちはみんな目をつぶっていて老婆に気がつかないふりをしていました。
優先席は3人がけの席が向かい合っていて、向かいの優先席にもやはり5~60歳の男たちが座っていたのですが、こっちもやはり目をつぶっていました。
昼の時間帯だったので車両は空いていて、彼らの席から老婆が見えないという状態ではありませんでした。
僕は次の用賀駅まで様子を見ていたのですが、見るに見かねて老婆に近寄り、「おばあちゃん、いくつですか?」と尋ねると、老婆は「92歳です」と答えました。
そこで僕は大きい声で「ええ、おばあちゃん92歳なの!」と言ったのですが、やはり優先席のおじさんたちは目をつぶったままなので、優先席に座る男性の肩を叩いて、「このおばあちゃん92歳だから譲ってあげてよ」と言うと、男性は慌てたように立ち上がって老婆に席を譲ってくれました。
おそらく優先席のおじさんたちは譲りたい気持ちもあったのだろうけど、目立つのが嫌なので寝たふりをしていたのだと思います。
それはそれで問題ですが、まあいいでしょう。
問題は昨日の出来事です。

昨日は19歳ぐらいの体育会系っぽい男が耳にイヤフォンをはめ、下を向いてアイフォンを操作しながら優先席に座っていました。
そして今回もやはり二子玉川から70歳ぐらいの男性と女性が乗り込み、男性は若者のまん前に立ちました。
その時の僕の位置は男性の隣で、女性は男性を挟んで向こうの位置。
70歳という年令を「老人」と呼ぶには微妙な年令なんだけれど、その男性が若者のまん前に立ったということは優先席に座りたい意思があるのだろうと判断し、男性に「(若者を)立たせましょうか?」と聞きました。
すると男性は「結構です」と遠慮しました。
そこで僕は今度は男性の向こう側に立っている70歳ぐらいの女性に「座りますか?」と聞きました。
そして座っている若者の肩を叩いて「おばあさんが立ってるよ」と言った。
すると女性の方も「あー結構です、あー結構です、あー結構です」と「結構です」を5回ぐらい連発して遠慮しました。
すると若者は座ったまま顔を上げ、女性に「結構なんですね」と確認し、それから僕のほうを向いて「余計なお世話だよ」って顔をして、また下を向いてアイフォンの操作を始めました。
というわけで、その時の僕の善意は余計なお世話に終わってしまいました。

今回の件で優先席に座ることを遠慮した男女が、どういう理由で遠慮したのかは特定できません。
人の善意を重荷に感じたのか、あるいは若者を立たせることで若者の恨みを買うことを恐れたのか、あるいはただ単に面倒なことに巻き込まれたくなかったのか、あるいは遠慮することで「いい人」になり、「いい人」であればまた善意を期待できる思ったからなのか?
いずれにしろその人たちはそれで満足だったかもしれません。
しかし社会にとってはどうだろうか。
今回の件で優先席の若者は70歳の人たちを立たせたままで自分は座っていた。
こういったマナーの無視を認めることの社会的損失はどうなるのか?
そして損失ならばもう一つ大事なものがある。
僕のやる気だ。
自分の善意が余計なお世話になるような結果は誰だって避けたい。
こういった善意の拒否が何度も続くようなら、僕だって面倒なことには関わりたくないと思うようになる。
92歳の老婆が立っていることに無視を決めこんだ人たちにしても、席を譲って拒否される可能性を考え、、最初から譲らないという選択肢を選んだのかもしれません。
僕の善意を遠慮という形で拒否した男女はたとえ自分たちはそれで満足だとしても、社会のマナーを維持するという観点から見て僕の善意を受け入れるべきだったと思います。
欧米では自分の権利を主張できない人間はダメな人間とみなされますが、それはただ単に「弱い人間」という意味だけではありません。
社会の秩序を乱す人間を制御できない人間は社会にとって迷惑だという意味でもあるのです。

今は福島原発の事故が問題になっていますが、福島の人たちは東電や政府に対して怒ろうとしない。
ただ忍耐している。
しかしそれは正しいことなのか?
ただ面倒を避けているだけではないのか?
自分にとっては正しい行為だとしても、社会にとって正しい行為なのか?
今一度考えてほしいと思います。

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コメント

こんばんは。大村さんはじめまして。
このお話の件でいつかコメントしようと思いつつ遅くなってしまいました。

優先席の前に立たれれば、座りたい意思があるのだと思いますよね。
私もそう感じると思います。

私は接客の仕事が長かった体験で、おじいさん、おばあさん、おじいちゃん、おばあちゃん
は、今でも禁句にしています(^^; 70歳くらいの女性は自分をおばあさんだとは全然
思ってないんですよ~。孫にばあばと呼ばれるぶんには良いみたいだけど、大村さんのような
知らない(しかも素敵な)男性におばあさんと言われて、内心がっかりしたのかなと
感じました。たぶん何の気なしに優先席の前に立っていたのでしょうね。うちの親も
そうですが、だんだん頭が回らなくなってくるんですよね。

見るからに90代ならさすがにおばあさんなんですが、それでも自分の親族でなく
他人の場合は、私はおばさんと呼ぶようにしています。

見るからにお爺さんにはおじさん、見るからにお婆さんにはおばさん、おじさんには
お兄さん、おばさんにはお姉さん。。

それで無理な仕事もスムーズに通ってしまったこともありました。

お話しの内容からは少しそれてしまいますが、この方法、
ぜひとも、おすすめですよ^^♪

大村京佑さんのユーザアバター

ハチミツさん、はじめまして

70歳はまだ「おばさん」ですか。
そうなのかもしれません。
これから優先席は但し書きをつけて欲しいものです。

お年寄りの定義
90歳以上 あきらかに年寄り
80歳代 微妙
70歳代 まだ若い

とかね

遅ればせながらですが、これ同感です。
20代の頃、優先席に座っていたワタシの前に、初老の女性がやってきました。
どうぞと言いながら立ち上がったら、大丈夫、大丈夫、大丈夫と言い、
ワタシの肩をぐいっと押すと、ワタシを席に座らせました。
悪いコトをしたわけでもないのに、いたたまれないような、切ないような、その場にいるのが嫌でした。
苦い感情で心がいっぱいになりました。
善いことをしようとしたわけではありません。
自分の祖母にするように、お年寄りだから席を譲ろうとしただけです。

そして、育児中の今、席を譲ってくださる方の好意は、ありがたく受けることにしています。
たとえそれが次の駅で降りるため、座る行為の方が大変だったとしても。(笑)
もしかしたら、席を譲られて、断ることができるヒトは、席を譲ったことがないヒトなのかもしれませんね。

大村京佑さんのユーザアバター

Chupie_chupieさん、

その初老の女性はその人なりに感謝のつもりだったのかもしれませんし、若さを見せたかったのかもしれませんが、どっちにしても気の使い方を間違っていますね。
日本は老人を大切にしない若者がいると同時に、若者に感謝しない老人も多いと思います。
老人はいつまでもでかい顔をするなです。

はじめまして、私も通勤でよく田園都市線を利用しています。電車通勤を30年以上も続けると世の中の移り変わりが良く理解できます。私の家系は3世代以上東京都出身なので、東京は私にとってごく普通の町なのですが、思うに都市部の世相はなぜここまで乱れてしまったのか常々嘆き悲しんでいます。
電車の中の人間模様はそれらを凝縮していると思います。本来優先席など無くても気持よく譲り譲られる環境はどこに行ってしまったのでしょうか?

皆さん他人に無関心すぎます。自分の周りはほとんどが見知らぬ他人ですが・・・だからこそ人としての気遣いや関心やマナーが社会というものを形作っているはずですが、もうそんなことを意識している人はいないのでしょうね。

電車の中でフルメイクをする人、平気で食べ物を食べている人、イヤホンとスマホで目と耳の機能を停止している人、自分の荷物が他人にあたっていようが、ぶつかろうが、乗り降りで人を掻き分けようが何も言葉を発せず気にも留めない方々、激しく混んできた車内でもスマホをする自分スペースを確保する人、スマホやゲーム機に両手を使うため吊り革につかまらない、やたらに何かに寄りかかる姿勢が好きな人たち。

自分の家にいる時は何をやっても自由ですが、一歩外に出たら尚更他人を意識して気遣い社会の一員として自らを律してふるまうことができるのが人間です。つまり今の電車の中には人間は乗っていないということでしょうか? どこの世界でも都市部だけの傾向とはいいますが、本当に悲しい世の中になりましたね・・・

大村京佑さんのユーザアバター

白石さん、はじめまして

昔の日本は電車のようなものだったと思います。
レールに乗せられた人生は不自由ではあるけれども何も考えなくていい。
選択肢は無いかわりに黙っていてもゴールに着く。
逆に今の日本は自由すぎて進路が定まらない。
何を信じて良いかも分からない。
とりあえず昔の習慣で電車には乗ったけれども常に不安がある。
乗っている人の考えていることは別々。
そんな感じがします。

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