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「私たちは空気の奴隷」 芥川賞作家、金原ひとみがつづる日本国への絶望と大和特攻

1ヶ月ほど前のエントリーで僕は福島原発事故の被害予想を計算し、「関東に住む人は全員が放射能で死ぬ」と結論しました。
http://kayskayomura.com/ja/node/82
日本を代表する政治家の一人である小沢一郎氏も5月の時点で次のように述べています。

http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_242207
日本の領土はあの分減ってしまった。あれは黙っていたら、どんどん広がる。東京もアウトになる。ウラン燃料が膨大な量あるのだ。チェルノブイリどころではない。あれの何百倍ものウランがあるのだ。みんなノホホンとしているが、大変な事態なのだ。それは、政府が本当のことを言わないから、皆大丈夫だと思っているのだ。私はそう思っている。

しかし世の中の流れは原発推進の方向に動いています。
全国の原発を停止させることに政治生命を賭けた菅直人前総理は国民の強い非難を受けて退陣し、その後を受けた野田総理は原発再稼働を明言しました。
野田総理の姿勢に危機感を感じた原発反対派の人々は大江健三郎氏らの呼びかけのもと、東京において9月19日、約6万人参加のデモを起こしました。
脱原発を訴えるアクションでは過去最大規模のものです。
­(主催者発表で6万、警視庁の見積もりでも3万人弱)

しかしこのデモが野田総理の考えを変えることはなく、総理は翌日のインタビューでも原発再稼働を明言しました。

http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_309592
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【東京】野田佳彦首相は20日、ウォール・ストリート・ジャーナル/ダウ・ジョーンズ経済通信とのインタビューで、現在停止中の原子力発電所を来年夏までに再稼動していく考えを示した。国民の間では反原発の機運が高まっているが、原発を再稼動しないことや、すぐに原発を廃止することは 「あり得ない」と述べた。

この発言を聞いた反対派の人たちが、どのように感じているのかは分かりません。
一度のデモで効果がないなら何度でもやるぞと考えているのか?
デモでは何も変わらないとあきらめかかっているのか?
そしてその数日後の9月26日、今度は事故の深刻さを率直に訴える小沢一郎氏の政治生命を危うくする判決が下されました。
小沢氏の元秘書3人による収支報告書虚偽記入事件において、3人は有罪を宣告されましたがこの判決のポイントは物的証拠がなかったことです。
衆院議員で弁護士の辻恵氏は「判決は捏造で魔女狩り裁判のようだ」と言います。

辻恵 http://tsuji-ganbaru-sakai.jp/
tsujimegumu.jpg
「裁判所は公判請求された公訴事実について真偽を判断するのが仕事です。裏金授受については判断する必要もないのに、虚偽記載の悪質性を強調するために証拠がないまま事実認定し、断罪した。大久保被告が天の声を発していたというのも同様です。さしたる証拠もないまま大久保被告が天の声を発していたと事実認定し、だから、水谷建設も大久保被告に裏金を渡し、虚偽記載では共謀していると断じた。検察は村木冤罪事件で違法な聴取をし、それと同じことを西松・陸山会事件でもやっていた。裁判所はそれをたしなめる立場なのに、小沢はうさんんくさい、金権だという世論やメディアに流され、証拠に基づかない事実認定をした。これぞ、魔女狩り裁判で司法の危機だと思います」
10月9日(日) 陸山会事件 不当判決糾弾デモ 東京渋谷 【写真57枚】
http://demonstrasi.blog.fc2.com/blog-entry-24.html

こうして反原発派の声が少しづつ封じ込められる中、芥川賞作家の金原ひとみさんが反原発派の心情を表す文章を書きました。
さすが芥川賞作家だけあって簡潔で明瞭な文章を書くなあと感心します。
全文引用は著作権的に問題かもしれませんが、そうさせていただく代わりに東京新聞を宣伝します。
東京新聞は踏み込んだ記事を書く良い新聞です。

制御されている私たち 原発推進の内なる空気 金原ひとみ
東京新聞 2011.10.11 夕刊
http://www.tokyo-np.co.jp/

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長女の小学校入学や、マンションの購入なども人並みに考え、ある程度の未来を見据えながら、来月の出産に向けて入院の荷物をトランクに詰め、長女のおさがりの新生児服を洗濯して綺麗(きれい)に畳み直し、あと僅(わず)かとなった三人での生活をかみしめるように一日一日を過ごしている時、地震が起きた。
 三月十二日、福島第一原発の1号機で水素爆発が起きた三時間後、私は娘の手を引き夫と三人で岡山に向かった。あの日、私の見据えていた未来は消えた。

 放射能、原発、メルトダウン、どの言葉も私は正確には理解できなかった。ただ、避難を勧めてくれた人々の口調や、夫が提示するさまざまな情報から、恐ろしいことが起きたのだとは分かった。避難先で私は、放射能について調べ続けた。チェルノブイリ関連の動画を見て、放射能の単位から、α線、β線、γ線の違い、除染の方法、放射能の感受性が最も強いと言われる乳幼児への影響。目が覚める度ツイッターで原発情報を確認し、唯一の頼りであったインターネット上でも情報統制が始まってからは、海外のニュースを掻(か)き集めた。食べ物の暫定基準値が引き上げられたことを知った時からは、海外移住も考え始めた。

 四月、私は岡山で娘を出産した。夫と離れて暮らし、長女は岡山の保育園に通わせ始めた。悩んだ挙げ句、次女は母乳で育て、人に預ける時は輸入ミルクを飲ませることにした。長女にはお弁当、水筒、おやつを持参させた。飲食物は九州のものか輸入ものを買い、牛乳とヨーグルトは禁止し豆乳を飲ませている。放射能を心配する親を、気にしすぎだと揶揄(やゆ)する人もいるらしい。人は多少被曝(ひばく)しても平気なのかもしれない。でも、平気じゃないかもしれないのだ。よく分からない以上、私は食べさせたくはないし、東京に戻りたくはない。

 原発はすぐにでも全炉停止した方がいい。二度とこんなことは起こってほしくないし、今回の件で、今や一部の利権のためだけに原発があることが、周知の事実となったからだ。食べ物の基準値は引き上げ前の値に戻し、汚染食品が乳幼児の口に入らないよう規制する。そして危険とされる場所に住む人々の疎開は国が全面的に援助し、生活を保障する。

 こういう誰にでも分かるはずのことができないのは、政府や東電の社員が悪人だったり、無能だからではないのだろう。反原発の総理大臣にも、原発推進の流れは変えられなかった。天皇がそれを望んでも変わらないだろう。数万人がデモを起こしても、デモに行かなかったその何百倍、何千倍もの人々が願っていても、変わらないままだ。

 既に放射能の危険性を考えなくなった人は多い。何もできないのが分かっていれば、余計に辛(つら)いだけだからだ。命より大切なものはないと言うが、失業を理由に自殺する人が多いとされるこの国で、失業を理由に逃げられない人、人事が恐くて何もできない人がいることは不思議ではない。

 しかし多くの人が癌で死ぬ可能性よりも、個々の人間とは無関係、無慈悲に動いていくこの社会に対して、私たちが何もできないことの方が、余程絶望的かもしれないのだ。

 私たちは原発を制御できないのではない。私たちが原発を含めた何かに、制御されているのだ。人事への恐怖から空気を読み、その空気を共にする仲間たちと作り上げた現実に囚われた人々には、もはや抵抗することはできないのだ。しかしそれができないのだとしたら、私たちは奴隷以外の何者でもない。それは主人すらいない奴隷である。

さて、金原さんは「私たちは空気の奴隷だ」と言っています。
いい言葉ですね。
「空気の奴隷」
日本を支配する最高政治判断は理性に基づいた判断ではなく空気である、ということを最初に指摘したのは山本七平です。
彼は名著、『空気の研究』の中で戦艦大和の沖縄特攻を例に挙げ、それが軍事的理論に基づいた判断ではなく、なんらの合理的根拠も存在しない空気によって判断されたと論じています。

『空気の研究』 山本七平

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以前から私は、この「空気」という言葉が少々気にはなっていた。そして気になり出すと、この言葉は一つの"絶対の権威"の如(ごと)くに至る所に顔を出して、驚くべき力を振っているのに 気づく。「ああいう決定になったことに非難はあるが、当時の会議の空気では…:」「議場のあのときの空気からいって……」「あのころの社会全般の空気も知らずに批判されても…」「その場の空気も知らずに偉そうなことを言うな」「その場の空気は私が予想したものと全く違っていた」等々々、至る所で人びとは、何かの最終的決定者は「人でなく空気」である、と言っている。

驚いたことに、「文藝春秋」昭和五十年八月号の『戦艦大和』(吉田満監修構成)でも、「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」(軍令部次長・小沢治三郎中将)という発言がでてくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至(ないし)根拠は全くなく、その正当性の根拠は専(もっぱ)ら「空気」なのである。従ってここでも、あらゆる議論は最後には「空気」できめられる。最終的決定を下し、「そうせざるを得なくしている」力をもっているのは一に「空気」であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。というのは、おそらくわれわれのすべてを、あらゆる議論や主張を超えて拘束している「何か」があるという証拠であって、その「何か」は、大問題から日常の問題、あるいは不意に当面した突発事故への対処に至るまで、われわれを支配している何らかの基準のはずだからである。

長くなりそうなので続きます。

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コメント

大変参考になった。
理性でなく「空気」で判断をする。
何度も何度でも同じ失敗を繰り返し続けますね、この国は。

海外で生きていける「特性」を鍛えなければいけないですね。

仰る通りで、暗澹とした気分になっています。この国は、つくづく自浄能力が欠落していますね。これでは、まるで、レミングの集団自殺のようです。そう言えば、最近の「ナッツリターン』裁判を見ていると、韓国も同様のようです。東洋的価値観による陥穽なのでしょうか? まぁ、あちらは、“空気”というよりは、“感情論”に囚われていると言うべきなのでしょうが。

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